Category:memo  Tag:自然 / / 農薬

花のこと

人があまり介入しすぎず、そこにただ咲いている花がすき。

今年の梅雨のはじまりはとってもわかりやすかったな。梅雨の時期は、あじさいの花も好きですが、葉っぱがとてもきれいで思わず写真を撮ってしまった。

先月のこと。ご自由にお持ち帰りくださいとあったので、バラの花を一輪いただき自宅で飾っていたら、その直後から喉に違和感が起こりビックリ。もしや風邪⁈と頭によぎったけれど全くそういう感じではなく、でも喉がイガイガしてきて痛みも伴いその夜一晩とっても寝苦しかった。

翌朝、バラ栽培には薬をたくさん使うんだよと言われ、まさかと思いながらもバラの花を一旦外へ。そうしたら喉のイガイガ、痛みが少しずつおさまってきた。

美しく見えるたった一輪のバラの花でも、どのようなプロセスを辿ってきたのか、どんなエネルギーを持っているのかがが伝わり、強烈な影響があるんだなぁと。

薬の匂いがつらく切り花は全く買わなくなったけれど、喉にまで反応が出たのははじめて。

最近の私は、道端で咲いているタンポポを見るだけでとっても気持ちが穏やかになる。お花だけでなく、毎日違う表情を見せてくれる空もいいよね。カラダもそうだけど、日々変化する自然を観察することは本当に飽きないな。 IMG_1146


Category:health  Tag:インフルエンザ / ヴィーガン / 健康 / 自然 / 花粉症 / 風邪

花粉症、インフルエンザ、風邪と関係ない世界で生きていく!?

棲み分け、二極化、そんな言葉をよく耳にする今日このごろ。花粉症や風邪、インフルエンザとご縁がないそんな生活になってきた。

先月末に、花粉が飛びはじめたという声が聞こえてきたけれど、私はその日全く反応なし。今年、花粉に反応する必要がなくなってきたというか、花粉というエネルギーに共振する必要がなくなってきたというか問題がないみたい。

内臓が元気、つまりはエネルギーが充電されていて、調和しはじめると、世のかなで騒がれている問題が問題と感じなくなってくる。

そして、どんどん調和の中でカラダの内側でネットワークが広がっていくと、受信、発信によって自然界ともうまくつながっていく感じがする。空気も太陽も全てが味方になってくれるようなそんな感覚。

ドラゴンボールの悟空のセリフで「大地よ 海よ そして生きているすべての みんな……… このオラに ほんのちょっとずつだけ 元気をわけてくれ…!!! 」を思い出す。これ、特別なものでもなく、本来みんなに備わっているチカラなんだろうな。

自然の一部であるカラダという存在を淡々と観察していると、カラダに合わない、つまり必要のない食べものを体内に入れると、いろいろなところに影響、不調和、不具合が出るんだなぁということが、少しずつ感じられるようになってきた。その影響は人それぞれで。だから花粉症という症状も何とかする必要はなく、カラダに不必要な合わないエネルギーを与えなければ、花粉に反応する必要がなくなるから自然に消えるわけで。これは、私の体験なので、みんなの真実と必ずしも一致しないかもしれませんが…。

花粉症は、花粉が悪いわけではなく、肝臓の季節である春に、花粉の力を借りて、一年でたまりにたまった必要ないエネルギーを、粘液だったり、咳やかゆみ、粘膜や皮膚の乾燥で、一気に外へ出している。だから、なんとかしようと戦う必要もない。確かに痒いし、その症状はとても嫌なものだけれど、必要のないエネルギーをカラダが出してくれているという自然現象(クレンジング)ということは、ある意味ありがたいこと。私も激しい花粉症で辛かった時期は、花粉症がありがたい存在だなんて思えませんでした…。突然涙が大量に出て、肌や粘膜の乾燥、かゆみ、咳に止まらない鼻水にずいぶん大変だったことを思い出します。その時は、仕事に集中できないし、どうしてよいかわからなかったな。

周囲を観察していると、かゆみのある花粉症とかゆみのない、咳と鼻水と喉の乾燥で辛そうな人の2つのパターンがあって。花粉症は花粉が飛んでいる時期に始まりその間ずっと辛い。でももう一つのかゆみのない花粉症のような症状は、私もヴィーガンに前にずっと経験したことですが、1年に1回必ず、寝ても止まらない咳と喉の激しい乾燥というような症状が、1〜2ヶ月ぐらい続きました。その年によって発症する月は、4月だったり、5月だったり、12月や1月の時もあっりバラバラ。ウィルスや花粉に反応するというより、ただ必要のないエネルギーを外へだしているだけなんだろうなと今では思う。今は年間を通してその症状は全くない。

絶対にインフルエンザに感染しない!とか、絶対風邪をひかない!とかそういうことを宣言しているわけではなく、自分の中にある必要ないエネルギー(ゴミ)が外側と共振して、さまざまな現象、症状を引き寄せる。だから自分の中に、引き寄せる、共振する不必要なエネルギーが何もなければ外側に何も起こらない。とってもシンプル。ただそれだけ。だから、私もカラダの中にエネルギー(ゴミ)が存在すれば、自然と外へ出そうと、熱や咳などカラダが必要ならばそのような症状があらわれるということ。自分の中に存在するエネルギーは、口から入る食べ物だけでなく恐怖心とか感情とかもあるからね。

何を食べるのか、何を食べないのか、どれくらいの量で、どのタイミングなのかは人それぞれ。自分でカラダに聞くしか方法はない。でも、自分の頭でなく、過去の何かでもなく、今、カラダの声に従えば、病気、さまざまなカラダの症状に振り回されず、お金もカラダも時間も消耗せずに、今体験したいことに集中できる。

今年もインフルエンザに感染せず、風邪もひいていない。風邪をひくのではなく、風邪を引く必要がなかったんだろうな。私の内側にゴミがなかったというか。風邪によって、カラダ、内臓は膨大なエネルギーを使って必要のないエネルギーを外へ出す。風邪や病気でエネルギーを消耗しないかわりに他のことにエネルギーを使えると、やりたいことに集中できパフォーマンスが上がるからいいことだらけ。今年一年の意識の状態、過ごし方で来年はどんな世界ですごせるのか、それがちょっと楽しみ。もちろん、期待も目標も何にもなし。ただカラダの声を聞いて成り行きにおまかせ。

今年、花粉に反応していないのは、昨年のカラダの変化もかなり関係していそう。

動物性食材、アルコール、カフェイン、ナス科の野菜、砂糖をとらずに十数年すごしてきましたが、さらに私の昨年の食生活の変化。生野菜、果物がメインになり、玄米、パスタの割合が激減。そして、小麦粉のパンや焼き菓子や加工品をほとんどとらなくなってしまった。加熱した油やあらゆる甘味料もほぼとらず、果物を単独で食べ、すぐカラダがむくんでしまうので、豆と生野菜、穀類と生野菜食べ合わせをしなくなった。それぞれの食べ物に合わせた内臓の消化プロセスがあり、内臓、特に腸の具合をよ〜く観察するとむくみとの関係もよくわかり、なるほどねぇという感じ。そして塩や酢といった調味料を使う量も減り少食に。

全ての準備が整ったカラダは、ものすごいパワーを出して変化する。デトックスの最後もすごい。昨日までの激しい痛みや、ずっと続いていた辛い症状が一瞬に終わる。内臓、カラダの組織、ネットワークが完璧につながり、本来の機能をとりもどした時の自然のパワーがすごすぎる。そんな現象に出くわすとワクワクしてしまう。そしてまた観察したくなる。

私の場合、アルコール、カフェイン、動物性由来の食材だけでなく、甘味料は腸の環境、調和を崩すみたい。腸本来の機能、腸のエネルギーを奪うことをしなければ問題は何も起こらないから。こういう生きるための知恵って学校で習うことより大切なことだなと今さら思う。学校って本当に行く必要があるの?!とも思ったりするし。

オーガニックであろうがなかろうと、メープルシロップやココナッツシュガー、小麦粉、オイルたっぷりのヴィーガン仕様の焼き菓子をふつうに食べていた時は、ちょっと粘膜や皮膚のかゆみや乾燥、鼻水があった。10数年以上、毎日カラダを観察しているからその違いは歴然で。

ちなみに昨年の年始、有機ココナッツシュガーのヴィーガンローチョコレートを食べた直後の私は、突然の喉の乾燥に咳、鼻水の祭りが始まりました。今の私の場合、あらゆる甘味料を自分のカラダに入れると、花粉が飛ぶ時期に関係なく、食べた直後の喉のかゆみや腫れ、もしくは翌朝に花粉症のような風邪をひいたような症状が出る。

その人に必要なカラダに合う食べ物は、人それぞれ。自分のカラダの声を聞くしか方法はない。誰も教えてくれないというよりは誰も教えることはできないんですよね。これからは、教える、教えられるとか先生、生徒のような関係性もなくなりフラットになっていく。 一度カラダの声を聞くことができるようになったら、もう一生もので。「〇〇式健康法」とか「〇〇の魔法の法則」とか「修行」とかそういうものも必要なくなってくる。だって、あなたの身近なカラダが、今必要なもの、こと、人など全てを運んでくるから。こんな素晴らしい自然の一部であるカラダと仲良くなって味方につけたないのはもったいないなというのが私の感想。そして何と言ってもお金がかからないし、どこでも、誰にでもできるからそこが気に入っている。太陽も空気も本来は全てただ。(なぜか子供のころからいつも頭の片隅にあったんですよね。)〇〇セミナーとか大金を頑張って払う必要もない。別にセミナーに行かない方がいいといいたいわけではないですよ。私もワクワクするセミナーは受講したりすることもあるので。でも最近は全く行かなくなってしまった。

そういえば、マスクも以前たんまり買ってそのまま。なかなk減らない。手洗いでアルコール消毒もしたいことがないし、うがいもゼロ。それでも風邪やインフルエンザにかからない。

カラダの声を聞きながら食べることを意識するだけでなく、目の前の現象と戦わず頑張らない、十分な睡眠などなど、自分にとって心地よいライフスタイルを整え、本来の自分にかえっていくと、問題は解決するべきものではなく、問題という存在が存在する必要がなくなってくる。花粉症、風邪、インフルエンザで消耗しない世界を創造し、その世界で生きることを選択している感覚。

毎日、自分の内側が投影された外側の世界を体験しているだけなんだけど、やっぱり変化、体験って飽きないしおもしろい。これからも淡々と地味に観察&実践です。


Category:health  Tag:ヴィーガン / 健康 / 自然

カラダで感じる春の訪れ。肝臓の季節がやってきた。

肝臓のエネルギーが強くなる春は、カラダを観察していると、肝臓の表現も活発になる。

だからカラダで一足お先に春を感じてしまう。

陰陽五行で肝臓は季節の中で春と対応している。匂いは酸っぱい匂いだったり他にもいろいろ性質がある。肝臓タイプの私はレモンや柑橘類など酸味のあるものが大好き。行動も思いついたらすぐ行動してしまうタイプ。

肝臓は怒りや忍耐、フラストレーションなどの感情を司る臓器でもあるから、肝臓にしっかりエネルギーが充電されて元気でないとイライラしたり待つことが難しくなる。カラダと感情は切り離すことはできないし全て繋がっている。そんな肝臓からエネルギーを無意識に奪ってしまう食べ物がアルコール、動物性由来の食材、カフェイン、砂糖などなどなどそれぞれのカラダに合わないもの。実践するとよくわかる。もちろん食べ物だけでなく怒りやフラストレーションなどをためるとやはり肝臓のエネルギーを奪ってしまう。カラダの仕組みはは見える見えないに関わらずよくできている。

ずっとカラダを観察していると、足指の付け根から毎年2月から4月下旬にかけて酸っぱい匂いが出てくる。汗はそんなにかいていないのに。昔食べた未消化の肝臓に負担をかけたであろう食べ物や怒り、フラストレーションなどの感情だったり不必要なものが出てくるんだろうな。

何が?どこから?どれくらい?いつ?なぜでてくるのか?は自然の一部であるカラダにしかわからない。私はただ観察するだけ。

汗だくになるような真夏に足指のつけねから酸っぱい匂いは全くでてこないから不思議。夏は意外と無臭。匂いは悪いものでも排除するものでもなくカラダからのサイン。

とはいってもつい先日映画館で前の人の加齢臭が強烈でややくつろげなかった。終電に近い満員電車の車内も匂いが結構きつい。内臓が悲鳴をあげているだろうなと。自分も昔はそうだったんだなぁと思いつつ。

そういえば、ついこの間生理中に突然強烈なチーズの匂いがしてビックリした。ヴィーガンになって10年以上たつけれど未消化の乳製品のエネルギーがまだまだ残っている。男性の場合、生理がないから例えば30年後に毛穴からチーズの匂いがでてくることもあるみたい。肉、魚、乳製品と匂い、未消化のエネルギーが出てくる順番もあるようで。今どのレベルでカラダの浄化が行われているかも匂いでわかるらしい。カラダの仕組みは深いな。

本当に意識して観察しているとカラダは自然の摂理、季節、流れとともにあることがよくわかる。ホント完璧なシナリオ通り絶妙なタイミングで淡々と働いてくれている。

昨日は右足親指の爪の右側が何だか痛かった。普段は全く痛くならないのに。よく巻き爪とかばい菌が入って痛くなるとか言いますがこれも肝臓の表現で。カラダの右側の症状も肝臓の表現。やっぱり肝臓がアクティブになっているから確実に春がやってきている。というかもう春になんだな。まだ寒いけど。

1番身近な自然の一部であるカラダを観察しながら春を感じることが私にとってはワクワクする。肝臓の季節、たくさん不必要なものをカラダから出せるといいな。まぁ全てなりゆきにお任せですが。


Category:health  Tag:ヴィーガン / 健康 / 自然

私失敗しないので。ドクターXよりも完璧なドクターはあなたの内側にいる。

ドクターXもクールで結構好きだけど、内なるドクターは高額な医療費もかからず、無料だから使わないなんてもったいないと個人的にはついつい思ってしまう。外側に絶対失敗しない完璧なお医者さんを求めなくても自分の内側に超完璧なドクターがいるとしたらワクワクしませんか。

内なるドクター、内なるプログラムが起動すると、違う言い方をすれば「私」とか「マインド」とか「感情」などによって行動を支配されるのではなく自然の一部である「カラダ」が優勢になって健康と病気の二極の世界から解放され、あるがままでいられる。究極の調和、何があっても大丈夫、守られている絶対的な安心感を感じるというか。

もともとみんなが持ち合わせている内なるドクターは、良いも悪いもなく、穏やかな時もあれば、時には容赦なく嵐のよいに厳しく激しい時もある。厳しい時というのは痛みだったり恐怖してしまう生命現象。津波や台風、地震と自然は容赦ないですよね。それに対して私たちの感情がよい悪いとか病気と健康、怖い、怖くないと判断しているだけで。自然、内なるドクター、自然の一部であるカラダはそんな二元的な私たちの世界、考え方を超えている。でも必ず内なるドクターは私たちを様々なプロセスを経て最終的には心地よいところ、調和、自然の流れの中へ完璧に導いてくれる。

これは頭で考えて理解するものでもないようで。やっぱり毎日カラダという自然との対話から次第に腑に落ちてくるような気がしている。両親もはじめは私の話をふーんと言った感じで耳を傾けるけれど他人事な感じで。

実践していくと、外側には何もないんだなということが実感できる。そう、内側に全てが存在する。そんな感覚、意識に少しずつ近づいていくというか。

はっきり言って内なるドクターはドクターXよりも完璧(笑)。特別な技術を要する複雑で高度な手術や高価な薬も必要なかったりする。本当に完璧。内なるドクターを呼び起こすことによって、本当に病院へ通う必要のある人だけが病院へ通うようになるからお医者さんはもっと必要な仕事に集中できるようになり病院も助かるような気がしますが…。

外側は、全て自分の内側が映し出されていて、外側の戦いは全て内側の葛藤。病をなんとかしようとか病と戦うことは内側の葛藤のあらわれ。そんな話を随分前から耳にしていましたが、ようやく腑に落ちてくるようになってきた。

こんなこと言われてもヴィーガンになる前はふーんと全く理解できなかった自分を思い出す。理解、この表現も厳密にいうとちょっと違う。わかる、これも違う。なんというか説明して、マニュアル、テキスト通りに「はい、そうですね、わかりました。」の世界ではないのは確か。自分が今そうだから。そしてみんながやらなければならないことでもないし、強制するものでもない。だから誰のせいにもできないしある意味自己責任、厳しい世界(笑)いや厳しくもないかな。勝手気ままに自由にやリナがらワクワクするから続けているんだと思います。というかやめたくない。どんどん自分自身の本質、未知なる部分へ近づくというか気づいていけるから。気づき、変化は楽しい。そんな体験をしたいかしたくないかは自由。でも実践後のココロとカラダの軽やかさは本当に魅力的。パフォーマンスも上がるり、悩みがなやみでなくなるというか。

信じるものは、外側の誰かや何かでもなく、方法論でも教材でもなく自分の中にあるドクター、あなたの中にあるプログラム、自然、なんといったらいいのかわからないけれど目に見えない内なるもの。そしてうれしいことにタダ。

ヴィーガンといっても、カフェイン、アルコール、合わない甘味料など自分に必要ない合わない食生活から少しずつ離れて、はたからみると食にこだわっている人と思われがちですが全くその逆で、誰が作ったかよくわからない食生活、こだわりからもともとのシンプルなオリジナルのスタイルを思い出しもどっていく感じ。そしてカラダだけでなく自ずと意識も現実も全てが変化していく。脳なのか頭なのかインストールするところはどこだか知らないけれどいつのまにか古いOSが新しいOSに書き換えられているというか再インストールされるというか。

そうなってくると、生まれる前から備わっている完璧なあなただけの内なるドクターが動きだす。あれをしたい、こうしなければ、あの人はこう言ったなど外の情報に振り回されたマインドからの指令が弱くなり自然の一部である肉体からの指令が優勢になる。これが強くなってくると自然の一部であるカラダに逆らえなくなる。例えば眠気にも(笑)。眠気をどうにかしようというのがマインド、エゴの仕業。命の立場で生きていならば、自然の一部であるカラダに逆らってはいけない。サレンダー。こうやってあなた本来の姿を司るプログラムが自動的に起動するイメージと私は勝手に思っていて。自然の流れの中にカラダがもどっていくと、あとはなりゆき、自然、カラダ、プログラムに沿って今に集中、楽しむだけ。

カラダも人それぞれ全く同じものはないわけで、内なるプログラムも人それぞれ違ってあたりまえ。全く同じプログラム、プロセスがないということは、内なるドクターだけでなく、私たちの人生、プロセスにおいても全く同じではないんだということも自然に受け取れるようになってくる。それぞれがそれぞれの道で輝いているという感じ。食スタイルの変化からそこに繋がっていくからおもしろいんだと思う。本来の自分を思い出していくプロセスは良いもの悪いもなく私にとってはワクワクする。

そう感じるから、自然の一部である肉体、内なるもの、プログラム、神、何と表現していいかわからないけれど、すごいなぁと思うし、いかさない手はない。気づかなかった、忘れてしまっていた、自ら無意識に封印していた本来の自分の人生をますます味わってみたくなってくる。

自己中という意味ではなく、心身ともに自分中心になってくると外側の情報、もの、人などに振り回されなくなってくるきがする。例えばウィルス。これも情報、波動があり、エネルギー。インフルエンザや風邪がいくら流行っていて外側にウィルスがたくさん存在していても、カラダが調和してあるがままでいればそのウィルスというエネルギー、情報、周波数が合わないから全く問題がなくなってくる気がしていて。だからウィルスが存在しても退治する必要もなくなってくる。ウィルスが存在しながら今ここでくつろげるそんな世界。まさに戦わず共存する。そんな変化、戦わない世界に私はワクワクする。人や仕事、すべてに対して戦わない態度になってくる。ただし、自然の成り行きに身をまかせるというか、カラダ、自然の声にはサレンダーすることが大切ですが。日々命の立場になって無理にがんばらない。

全ては自分。全ては自分がつくりだしている。私自身も私のカラダに合わない必要なかった食べ物を誰がつくったのかわからない常識やマニュアル通りに、つまりは外側の情報に振り回され無意識に食べて、自然の一部であるカラダが自然の流れから逸脱してしまったために、今思うと10代から原因不明のあらゆるカラダの粘膜のただれ、神経痛、熱、咳、鼻水、かゆみに苦しんでいました。薬をもらっても何をしても治らなかった。で、重い荷物を運んだからとか、過去の出来事、誰かのせいにしていた自分を思い出す。

現在は医療費ゼロ。全部自分が無意識に病気をつくって苦しんでいた。医療費ゼロを目指しているわけではなく必要があれば病院へ行くとは思いますが、何も問題がなくなってくる。おかげさまで歯も今のライフスタイルになって十年以上問題なし。

食べることは、見える見えないに関わらず全てにつながっていくと感じる毎日です。


Category:health  Tag:ヴィーガン / 健康 / 自然

生理とむくみと体重増加

カラダの声に従い、熱を加えた油と甘味料を控えて2か月目、生理前、生理のはじまりに出るむくみと体重増加が全くない。

ちょうど生理がはじまったけれど。全く今まであった激しいむくみはなく、心身ともにさらにおだやかで。体重増加どころか減っている(笑)

むくまないということはその分の水分もたまっていないから体重も現状維持か減る傾向にるのは自然なことなのですが。生理前、生理中に体重が減るなんて改めてビックリ。

穀物菜食、カフェイン、アルコール、甘味料、揚げたり炒めたりする油はほぼなしの食生活は、今のわたしにはとても合っているようす。たまに油でいためたものを食べてもそこまでカラダにダメージはこないみたい。

カフェイン、アルコールなしのヴィーガンになっただけでも、生理前の吹き出物やイライラはほぼなかったので特に気になる問題はなかったけれどむくみはしっかりあってついこの間まではかなりひどかった。お腹や腰回り、足全体がパンパンになっていた。

今はというと、生理前にもかかわらず、お腹や腰回りがまずスッキリ。一回り小さくなった感じ。そして下半身も相変わらずほっそり。生理がきそうだなという兆候がなさすぎでそれもびっくり。だから生理前、生理中とかのイライラや不快感がないから全く普通に日常を送れるしパフォーマンスもいい。カラダを消耗しないってやっぱりいいな。

もっと早く気づきたかったけれどこれもなりゆき、自然まかせ。私が、頭が、マインドが、もっと何とかしなければならないとか、ダイエットしたいとか、病気を治したいとか、なんとかしたいと思う必要はなく、カラダがしっかり本来の仕事ができるよう私たちが邪魔せずサポートする態度でいれば、必要なことを準備して絶妙なタイミングで自動的に完璧な手順ですすめてくれる。

外側の幻想、現象に恐れおののき、何かやらなければと掻き立てられるような恐怖心についていかず、どんな時もおまかせする私の態度もカラダを観察しながら待つことを実践することによって少しずつできるようになってきてるかな。これはカラダに対してだけでなく、毎日の生活のあらゆるシチュエーション、仕事、家庭、人間関係などでもそういうスタイル、スタンス、態度になっていくからおもしろい。

自然は絶妙なタイミングでいろいろなことを伝えてくれる。見返りなしで無料(笑)

ますます自然の一部であるカラダの声に耳を傾けていねいに観察し扱いたくなってくる。以前自然の一部であるカラダを丁寧に大切に扱うということは自分を愛することにもつながると聞いたことがあるな。今、この瞬間にOKを出すというか。迷わず今やること、本来自分が進むべき道がみえてくる。

本当に自然の一部であるカラダさんにありがとうだな。


Category:culture  Tag:自然

「身軽に生きる」若い人たち。彼らも日経MJの記事もいいね。

若い人たちの意識は新しい流れにしっかりキャッチアップしてるんだな。

日経MJに若者の最近のライフスタイルがバーンと載っていて。思わず目が言ってしまった。

「在庫は持たず小容量が好き。」「平成生まれはギリギリ消費。」と見出しがあったけど、なかなかステキなことが載っていて。もちろんお金に余裕があることは悪いことではないけれどお金もエネルギーなわけで、軽やかな若者にどんどん必要な時に必要なエネルギー、お金が流れれば余分に持つ必要はないのかなと思ったり。

なぜそんなことを感じるかというと、カラダを観察していると呼吸だったり血液の循環だったり、出して食べるとか、常に流れている循環している状態がふつうというか心地よいから。もし食べたものを溜め込んでいると便秘になってお腹が張ってそれがもとで病気を引き起こすこともある。滞りがない、溜めない、常にエネルギーが循環している、これが自然の摂理なんだなと。エネルギーであるお金も同じことのようなきがする。

「食べきるのがプレッシャー」。この見出し、めちゃくちゃわかる。あまり以前のようにたくさん食べられなくなってきたそんな時期、昔の記憶のままに食料を多めにストックしていたら、ジャムやパスタ、インスタントラーメン、ストレートジュースなど賞味期限がどんどん過ぎてしまい、食べきるプレッシャーで疲れてしまったことがあったな。野菜や果物もそう。海外のように広場でマーケットがあってその日に必要な分だけ新鮮な野菜や果物を毎日気軽に買えるといいなと。究極は自給自足をついつい思い描いてしまう。

「日用品も使い切り。」「割高でも必要な分だけ。」私もようやくそうなってきた。食べ物だけでなく食のスタイルが変わっていくと、ライフスタイルも自然に変化し物欲が比べ物にならないほどなくなった。ゼロではないですよ。不必要なものまで衝動買いしないという感じ。まとめ買いが安いといっても、本当にそれを使い切れるのかといったら疑問。電池や消しゴムなどたくさん使う場合はいいですが、消しゴムはとりあえず割高でも一個あれば十分で。ホント若い人たちは自然のなりゆきかもしれないけれど軽やかでいいな。

そんな意識で私も10代20代をすごせたら、必要ないところにエネルギーを消耗せず、もっとやりたいことだったり他にエネルギーを費やせたし、きっと毎日がもっと気楽な気持ちでゆったり過ごせただろうなと。

「財布の中も最小限。」「今欲しいものを厳選。」「身軽に生きる。」すばらしい。

新聞はもう随分昔に購入はやめ全く読まない人ですが…。はじめてかも、久しぶりに新聞のニュースに興味を持ったのは。

若い人たちの感覚、意識や変化は要チェック。自然の流れがよくわかる。


Category:health  Tag:むくみ / ナチュラルハイジーン / ヴィーガン / 健康 / 自然

油と甘味料を一切摂らなかったら翌日一気に下半身のむくみが解消。さらに体重2kg減というおまけつき

下半身の変化に驚き。ナチュラルハイジーン的には当たり前の自然現象なのかもしれませんが…。「私の場合」と言っておいた方がいいですね。同じようなことを実践したとしてもカラダはみんな違うしどのようなプロセスで今まで過ごしてきたかによっても全く同じ結果にはならないかもしれないので。

ただ一つ一貫して実践してきたことは常に体の声に耳を傾けるということ。

ずっと前から体が訴えていたにもかかわらずなかなか受け入れなかった私。油と甘味料を摂取しない方が調子がよくカラダが喜ぶのである日、米飴だろうがメープルシロップだろうがあらゆる甘味料と植物性油を抜いてみた。

そうしたら、アレ??? 何だか下半身がよみがえったような感じで。穀物菜食になってカラダの具合が悪かったわけではなかったけれど、たった一日で翌朝はカラダが特におなか周りと下半身が軽すぎて今まで以上にめちゃくちゃ調子がいい。

10年以上、ヴィーガン、アルコール、合わない甘味料、カフェインなしを実践して、いつのまにか原因不明のカラダの症状や痛みは消えました。はじめマクロビオティックの料理教室に通ったこともありましたが、どうも陰陽と頭で考えることが苦手で続かず。動物性食材を一切やめただけでなくその時は甘味料は米飴も食べず基本的に玄米。2年目くらいからパンやパスタをたまに食べたとしても全粒粉。ずいぶん痩せました。

その後、私にとって心地よかった穀物菜食を引き続き実践しながら、お菓子作りには甘味料としてメープルシロップ、バターのかわりになたね油やごま油をしっかりたくさん使用。揚げ物や炒め物でやはりごま油やオリーブオイルをたっぷり使い、ヴィーガン仕様の油で揚げたおかきや野菜チップスのスナック菓子なども食べたいだけ食べていました。パンは全粒粉よりも軽い薄力粉。パンには発酵豆乳マーガリンやぶどう果汁で甘みをつけたジャム。そしてインスタントラーメンに冷やし中華と加工食品もたくさんお世話になり、紙パックやペットボトルの果汁100%ジュースもガブガブ飲んでいた。

すっかり体重はもとにもどり、やや以前よりも増えたかなといった状態。ただそのうちに食べる量が少しずつ減っていき、いつの間にかたくさん甘いものを欲することがなくなってしまった。

砂糖中毒から抜けだしたと思いきや、最近は揚げ物、スナック菓子中毒も抜けてきた。無理に抜け出すというよりも食べられなくなってきたという感じです。で、甘味料、油を取らない方がよりカラダが心地よく感じられるようになってきて。

これも全てカラダの声に従ってなりゆきにおまかせ。甘味料と油を摂取しないなんて全く想像すらしていなかったし、たぶん私の場合、いきなり動物性食材と一緒に甘味料と油をいきなり食べなくなるなんて無理だったな。なんせ揚げ物やお菓子、スナック菓子が大好物なもので。

実は甘味料と油をやめただけではなく、こちらもなりゆきですが思い出したように以前から聞いていた食べ合わせ、食べる時間も一緒に実践。ついでによく食べるインスタントラーメンなど工場でつくられた加工品もやめてみた。

タイミングが良かったのか、ものすごく私のカラダには気持ち良いぐらいピタッときてしまい。食べ合わせは、豆とご飯は一緒に食べず、野菜とご飯、野菜とパン、豆と野菜の組み合わせ。そして果物は必ず単独で食べる。朝はもともと食べないので何か食べたい時は果物、ランチは果物か野菜、夜はパンか玄米か麺類と野菜。そうそう、もともと食事中は飲み物を欲しがらない人なので気にしていなかったのですが、食前、食事中、食後は飲み物を飲まない方が薄まらず消化がいいみたい。

特に煮野菜よりも生野菜が美味しくて。 生野菜とご飯のサラダ、生野菜と豆のサラダなど、嫌いではないですが、どうしても選択肢がないときにしか選ばないメニュー。でもこの組み合わせがどうも最近口に合う。だからローフードレシピなどをちょっとネットで検索して参考にしてみたり。あとはスパイスやハーブを使ったり、酸味が苦手だった記憶があるライ麦パンもめちゃくちゃ美味しく感じる。

と、こんな感じでまず1日実践したんです。翌朝見るからに下半身がいつもよりほっそり。一気にカラダ全体のむくみとともに下半身の重たい感じがなくなりました。右足甲が毎晩プックリふくれていた、むくんでいたところがあったのですが、それもペタンコになりなくなってしまった。痛くもかゆくもなかったからずっとほったらかしにしていましたが…。

一日中デスクワークでも全体的に筋肉がやわらかい。特にふくらはぎ。一日中歩き回ってもむくみはそんなに出てこない。ちょうど春から夏にかけて、油で揚げたおかきや野菜チップス、揚げ物を少し食べすぎたりするとふくらはぎや足裏のこむらがえりが頻繁に起こる時期があって。今思うと肝臓が油や甘味料をもうやめてくれー!と叫んでいたのかなと思ったり。肝臓と筋肉は繋がっていると聞いてはいたけれど、本当にそうだなぁと実感。

むくみが1日でなくなっただけでなく体重も1日で2kg減。カラダが本来の姿にもどり機能しスムーズな代謝ができれば、水分が自然に外へ出てむくみがなくなるんだなぁと。その外に出た水分量がちょうど減った分の2kgということみたい。

そういえば以前、リフレクソロジーをしてもらった後にむくみがなくなって一気に足が細くなったことがあり、太っているわけではなくむくんでいるだけだよと言われたことがあったな。

私は特にローフード、ナチュラルハイジーンのことはよく知らないのですが、ナチュラルハイジーンをネットで検索するとどうも食べ合わせや食べる時間、油、甘味料などについて書かれていることが今の私のカラダの声と少し重なるような気がする。

なんだかものすごい変化、自然の流れにビックリ。

そんなにめちゃくちゃ若いわけでもないのに、こんなに下半身が軽く見た目もスッキリしてしまうなんてやっぱり驚く。着られなくなった洋服を袋に詰めていたのですがこれも着られる、あれも着られるとまたこの冬も着ることに。

ふくらはぎが痛くてきついなぁと思っていたロングブーツ、レインブーツはスルっと入ってしまった。

無理して頑張るのではなく、その人にとっての絶妙なタイミング、流れってあるんだなぁと。体重は特に気にしていなかったのですが約1カ月経過して4〜5kgもいつの間にか自然に減っている。ジム通いもやめてしまったし、なるべく歩くようにはしていますがこれといった運動もしていない。もちろんマッサージや整体にも全く行っていない。カラダの内側がスムーズに機能していればきちんとデトックスしてくれるんだなぁと一人で感動。そしてワクワク。

カフェイン、アルコール、ナス科の野菜なしのヴィーガンという食スタイルだけでなく、油と甘味料なしの食生活が今の私にはピッタリみたい。このブログのヴィーガンライフというタイトルもちょっと合わなくなってくるかな。

腸内洗浄をここ数年ほぼ毎日やっていたのですが、それなしでも1日に2回便通があった日もあったので本当に驚いた。1日3食食べる人の場合、便秘でない人は3回便通があるらしく、それ以外は本来便秘らしい。

ヴィーガンになって数年経った時に、ヴィーガンの友人が岩塩とレモンのみでサラダを食べていたのを思い出しました。私ももちろん美味しくいただきましたが、やや物足りないと感じていた自分が当時いたんです。でも今はそんな友人に近づいているのがおもしろいなと。

ちなみに、現在はしょっぱいものも、甘いものもおやつはほぼなし。食べない方がカラダが楽だから。どうしても何か食べたい時はフルーツか野菜スティックに味噌ディップ。うさぎさんみたいに人参や大根、キャベツといった生野菜が美味しく感じる。今豆味噌をつけて食べるのがマイブーム。めちゃうま。
r 試しにやってみましたが、やっぱり揚げ物、揚げおかき、甘味料と油たっぷりの焼き菓子などを食べると、明らかに翌日のカラダの状態が違う。背中が重くだるくなり下半身も重くむくみがでる。デスクワーク後はふくらはぎが重くかたくなって張ってしまう。

この1ヶ月の甘味料と油抜きの食生活でもう1つ今さらながら気づいたことがあって。工場で大量生産されるような食品、例えばインスタントラーメンのような加工品は食べても食べてもお腹がいっぱいにならないんだなぁということ。今まで普通に食べていましたが、これには今さらですが超ビックリ。

いくらオーガニックで動物性食材を使っていなくても、工場で大量生産されたものは見えないエネルギー、生命力は落ちているんだなと。太陽や大地、自然のエネルギーをチャージした新鮮な素材をそのままいただいたり、大量生産でなく手を使って料理する、手作りが自然の一部であるカラダにとってはごちそうなんだなと感じました。肉体も物質だけでできているわけではなくエネルギーであるわけで、料理する人によって味、美味しさも変わってくる。
r 食べ物を物として加工しカラダに入れたとしても見た目は食べていることに変わりはありませんが、カラダは満たされない、エネルギーをチャージできていないそう感じたんですよね。結局、いくら量を食べても生命エネルギーをチャージできない、満たされないからお腹がいっぱいにならない。だからもっと食べたいと必要以上に食べてしまう。

1カ月ぶりにストックのインスタントラーメンを食べてあっと気づかされました。満たされない。お腹がいっぱいにならない。しっかり量を食べているにもかかわらず。 生命力、エネルギーってこういうことかと。 大量生産、工場でつくるとはこういうことなのかと感じた瞬間でもありました。

使いさしのオリーブオイルや発酵豆乳マーガリンがまだ残っていたのでちょっとライ麦パンに塗ったり、サラダに残っているオリーブオイルを少しかけたりはしましたが、それくらいなら今のところカラダは代謝できるみたいです。ただ炒めたり油で揚げたりということは一切しなくなりました。サラダも基本オイルなし。

ますますおもしろくなってきた。 たくさん遠まわりをしているけれど、食べたいだけ食べてようやく気づく私は、十分味わっているからもっと食べたかったとか不満もないし不足感もない。日々実践、観察の毎日です。


Category:culture  Tag:ヴィーガン / 坂本龍一 / 福岡伸一 / 自然 / 音楽

坂本龍一さんと福岡伸一さんの対談から自然の絶え間ない流れが見えてくる。

坂本龍一さんと福岡伸一さんの対談から今の私の食生活は人間、マインド、エゴのコントロールから肉体を解放する作業だったと再認識できましたが、坂本さんの今回のニューアルバム「async」(同期しない、ずれる)もフィシス(自然)の回復運動、async(ずれること)の再確認をされているのではないかと福岡さんがズバリおっしゃっていて。

フィシスとは自然、ありのまま。物理学(physics)、生理学(physiology)もフィシス(phsis)からきている。

音は本来一回性であり振動が伝わって自然に消えていくものが音であって一回しか起こらないから素晴らしい。そして自然はバラバラで秩序だっていないけれどそのままで豊かであると。生命も人生も同じですよね。

人間が分節の力で名付けたノイズというものを排除するのではなく音はそもそもノイズ。人間が音の一部を切り取ってノイズと名付ける前はこの世はノイズだらけなわけで。

今まで名前をつけたり言葉によって人間は世界を何でも分けてきましたがいきつくところまでいってしまい身動きできなくなっている気がする。生きにくい社会というか、カラダもコントロールされすぎて病気だらけ。負のスパイラルにはまっているというか。

人間が秩序立てて構成した音とノイズとして排除されがちな自然音(環境音)を分けずに、両方が同時存在する、あるがままの姿にもどす、それが人間、マインド、エゴからの解放だとすると、わけていたものをもとの姿にもどす、例えば善悪とか病気と健康とか2つに分ける二元性を超えて両方あるときづき1つに統合していくことと同じ気がする。

病気が悪、健康が善と世界を分けるロゴス的な判断をするわけではなくすべては生命、自然現象、あるがままという俯瞰した見方。

無意識に人間、マインド、エゴにコントロールされた食生活ではなく意識的にカラダの声を聞く食生活を実践していると、次に自分の無意識の中にある先祖代々受け継いてきた感情、思い込み、考え方にも気づきはじめる。例えば「毎日3食食べなければならない。」「牛乳は毎日飲むべきだ。」その「〇〇しなければならない」とか「〇〇するべき」とか「〇〇することは良いことだ。悪いことだ」など自分のスタイルに合わない常識を疑い気づいて外していく作業。毎日3食食べることが悪いとか良いとかロゴス的な発想、視点で言っているわけではないですよ。自分のカラダだけでなく行動、生き方をたくさん制限して無意識にコントロール、ブレーキをかけていることになっていたりする。

何に気づくか、何を実践するかは人それぞれ違うと思うのですが、人間、マインド、エゴからの解放によってカラダや精神が楽になっているということがポイントのような気がする。心身ともにリラックスできているかどうかが結構大切で。私の場合は合わない食べ物である白砂糖やカフェイン、アルコール、動物性食品によってカラダは負荷がかかりさまざまな体の症状が出てリラックスできなくなってしまう。

坂本さんはこのアルバムで終わり方が大切だとおっしゃっていて。いつ終わるのかわからない中やめる瞬間を非常に意識したらしく。作曲中も自然に筆をおく瞬間があるとかなり強く感じていたと。その筆を置く瞬間を過ぎてしまうと余計なことをたしてしまうからとそこを意識されていました。

人間の死も同じで筆をおく瞬間、寿命がある。生まれるということは同時に必ず死ぬということでもあり。ただ現代の死は筆をおく瞬間に筆をおくという自然の流れの中に死はない気がする。人間、マインド、エゴのコントロールの中で生きていると余計なことをたくさんしてしまい自然には死ねないのかもしれない。カラダを観察していると病気はいろんな意味で人間、マインド、エゴがつくりだしているようにも思ってしまう。私が実際無意識にふつうという常識通りの食生活によって様々な原因不明のカラダの症状に悩み苦しんでいたので。しかし今はそれがない。もちろん、食べ物だけでなく、空気、水、海、タバコの副流煙、排気ガスなどの環境や様々な無意識のくせ、感情のパターンなど複雑に入り組んでいるとは思いますが。

そういえば人は病気で死ぬものではないんだよと聞いたことがあって。 インディアンの長老の話がまさに筆を置く瞬間を見極め自然に穏やかに死を迎える話だったことを思い出しました。長老は自分が死ぬだろう瞬間、筆をおく瞬間を察知し、その前に1人1人に言葉を残しお別れをした後1人離れへこもり静かに息をひきとると。

そう考えると現代人の死も今はむちゃくちゃというか、人間、マインド、エゴのコントロール下にあってエゴの勝利といえるのかもしれない。病気も人間、マインド、エゴがつくりだした幻想にも思える。

意識的に食べながらカラダを観察していると、オーガニックでいくらカラダによいからといっても食べ過ぎると内臓が消化活動でエネルギーを消耗しカラダはダウンする。食べ過ぎもマインド、何か充たされない無意識の感情が関係していたりもするらしい。

「健康のために〇〇を食べなければならない。」食だけでなく「寝ずに〇〇を頑張らなければならない。」「〇〇は便利だから買わなくてはならない。」など外界の情報にふりまわされなくなってくる。人それぞれカラダは違うわけで必要な食べ物も量もそれぞれ違う。意識的な食生活は本来の自分のスタイルに戻っていくことにつながる。

だから意識的に食べることを続けていくと、食だけでなくライフスタイル全体が変わってくる。今これがはやりだといくらマスコミが発信していても自分には必要ないと感じる。自分にとって何が大切なのか、自分は何をしたいのか、何を食べるのか、以前よりクリアになってくるというか自然とそういう流れになってくる。

人間、マインド、エゴのコントロールから解放されてくるとやみくもに食べなくなってくるから体も消耗しない。私の場合それだけでなくやみくもに買わなくなってくるからお金を浪費しない。そしてやみくもに動かなくなる。何も挑戦しないというわけではなく以前より上手にカラダのエネルギー、お金のエネルギーすべてのエネルギーを使うようになってくるような気がする。

そうすると自分のことも少しずつ何となくですがわかってくる気がするし、何をするのか自分に聞く自分自身を見つめる、内観することが一番早かったりする。自分自身が受信器アンテナになってしまう感じ。

坂本さんも、ニューアルバムの「async」という山を登って次の景色が見えているようで、幾つかの山の何に登ろうか今内観していると言っていました。やはり1つの山を登るには相当のエネルギーが必要だし命も限られているからやみくもに登りたくないと。

意識的な食スタイルから自分自信をますます見つめることに集中したくなってくる。そして感情に揺さぶられることも毎日多々あるのですがリラックス、平常心で常に観察することが日々訓練にもなっている。

そして今この瞬間を感じたいという気持ちも芽生えてきて。これは坂本さんと福岡さんのいう音の一回性にもつうじるかなと思ったり。

最近は耳をふさぐ感覚が嫌なこともあって音楽をイヤホンで聞かなくなってきて。今この瞬間の音を大切にしたいと思うように。犬の吠える声、赤ちゃんの泣き声、子供たちの声、鳥の鳴き声、工事の音、電車の音、話し声すべてを今聞いていたいと思ってしまう。音だけじゃないですよ。目に入るもの、味覚、嗅覚、このカラダで感じることが楽しくなってくる。

なんとなく気になる言葉、気になる人、気になる色や匂いなど、それらが次のステップ何かのサインだったりと今この瞬間にたくさんのヒントが隠れていたりするんですよね。それも一回きり。その瞬間でしか味わえない。まるでロールプレイングゲームをリアルでやっているようなもので、宝物探しのような感じ。どこで何がどうつながるかはその時はわかりませんが。今この瞬間を日常を注意深く観察したくなる。頭、マインドが考えることでいっぱいになっていない状態、リラックスした状態でなんとなくがポイントで、ついつい無視しがちなので意識して見たり聞いたり感じたり。あくまでも私の場合ですが。

すべてはベストなタイミングでおこりノイズだらけで一見秩序立って見えないけれど自然は完璧で予測不可能だからおもしろい。自分にしかわからないことだけれど無秩序のこと、もの、人が後で結構いろんな形で繋がってくる。

私たちが強烈な分ける力によって「良い」「悪い」などたくさん名付けて判断してきたけれど、名付ける前の世界はすべてはノイズだらけであって。そこにもどるということは私たち人間もみんなと全く同じである必要がなくそれぞれのライフスタイルがあって、無秩序に存在していてOKで。みんながあるがままの状態で生きる世界、ノイズだらけの世界が実は1番イキイキ、キラキラしている世界なんだろうなとも思ったり。

お二人の対談の中で、私たちも木と同じ自然の一部なんだよね、と。自分と外部、自分とノイズと分けるのではなく自分もノイズの一部だと。

壊すことの重要性をもっと認識した方がよいと福岡さん。動的平衡(分解と合成)を数理モデルにしたもので説明されていました。生命現象は壊すことをやめない。壊さないと生まれない。作って壊す、ゴミが溜まったから壊すとはまた違う。細胞は一部が壊れると一部がまた合成され、絶え間ない分解と合成を繰り返しながら絶妙なバランスを保っている。実際合成よりも分解が少し多いらしい。

坂本さんは福岡さんに動的平衡の視点から病気はどのような状態をいうのだろうかと質問されていて。福岡さんは繰り返し行なわれる分解、合成のバランスを崩すことではないかと。合成が多くなり分解が滞る状態。常に分解と合成を行い続けている生命現象だから症状を止めるような薬よりももっとバランスを戻すためにさまざまな方向から揺さぶるような漢方のようなものの方がよいのではないかとおっしゃっていました。

フィシス(自然)、生命、は止まらない。常に流れていて変化している。それを思い出させてくれるのが一番身近な生命、カラダという自然。

遺伝子と楽譜は対応するところがあると福岡さん。楽譜が音楽と思いがち、遺伝子が生命と思いがち。秩序だったオーガナイズされた楽譜と遺伝子は生命ではなくただのシグナルであって、それを演奏する人、生きる人によって現象は異なる。

例えば遺伝子が一つなくても全体としては大して変わらないこともあったり、全く同じ遺伝子を持っている一卵性双生児でも違う人格になる。そこに生命の不思議、自然界の流れがあると。

楽譜があれば同じ演奏ができるかといえば違う。演奏する人、聴く人がいて初めて成立する。これは料理にも言えることで。同じ素材を使っても料理人のエネルギーや調理器具によって全く違う味になってしまう。そして食べる人の味覚によってもまた感じ方は様々。

楽譜のシステムも複雑化してきて方眼紙に緻密に書いたりいかに美しく表現することに情熱を捧げるかということになりがちらしい。これは野菜にもいえることで。自然の一部である野菜は全く同じ形や全く同じ色はないわけで。それを統一しようとすること自体自然の流れに逆らっている。現代社会ではいかに綺麗に見せるかを優先させていることがよくわかる。

演奏する人、聴く人がいて成立する音楽は本来は一回限り。音楽は空気の振動になって消えてしまう。

坂本さんも、実は人間は何も振動を起こさなくても音はある。だから究極は何もしない、ただ聴いているだけで音楽なんだと。私もその通りだと思う。

ヴィーガン、砂糖、カフェイン、アルコール自分に合わないものは体に入れないという食スタイルを実践しながら、カラダのさまざまな症状、ノイズというカラダの声に対して究極は何もせずあるがままを見守ることが一番よかったりする。実際に私自身が今そうなので。痛みという嵐がきても判断せず感じる見守ることを意識すると時間はかかるかもしれませんが嵐はいつか自然に消える。いつどうなるかなど意味やタイミングは私にはわからない。ただし、人間、マインド、エゴのコントロール下で無意識に食べていると嵐はいつになっても消えない。

自然の一部であるカラダを観察していると本当に全ての自然現象は秩序立っていない。秩序立っていないと言っているのは人間から見た視点であって、実は無秩序であるように見えてそこには人間の想像以上の完璧な自然の流れがあって私たちがコントロールはできないというかコントロールする必要がないことに気づく。自然の一部であるカラダに介入しないそれが一番楽だったりする。

シンプルであたりまえのことに気づくのにたくさん時間がかかったけれど、それに気づくことができるから年をとることのよいことの一つだとこんなにすごいお二人がともにおっしゃっていたことが印象的で。私もカラダの声を聞きながらシンプルであたりまえのことに気づく毎日。

今回の坂本龍一さんと福岡伸一さんの対談は本当に興味深くそれぞれの立場や状況は違えど、すべての営みに通じる話のような気がしました。お二人の今後の活動もますます気になってしまう。

実はこの対談の少し前に見つけた「ソトコト」の広告。福岡さんの顔がドーンとこんなにアップ。インパクトがあって気になってしまいパシャリ。 IMG_0366 この写真を撮影した時は何となく気になったというそれだけ。こんな対談があるとは全く知りませんでした。でも気になるものは意外と未来のサインだったりする。自分がすべてを知っている、そんな感覚がおもしろい。これからも日々観察、実践です。おわり。


Category:culture  Tag:ヴィーガン / 坂本龍一 / 断食 / 福岡伸一 / 自然 / 音楽

坂本龍一さんと福岡伸一さんの対談で思い出した、人間、マインドのコントロールから肉体がはずれた断食体験。

坂本龍一さんと福岡伸一さんの対談後半は坂本さんが福岡さんにインタビューするかたちではじまり動的平衡のお話も出てきて面白い。

福岡さん自身がご自分の研究はロゴスの極みと言っていましたが、遺伝子一つ一つに名前をつけマウスの遺伝子を操作して遺伝子である部品を一つ削除して異常を引き起こすかどうか実験したことがあり、何も異常が出ずマウスは元気で次の世代にも異常がでなかったそうで。異常が起こるだろうと機械論的な頭で考えていたけれど一つ欠けても問題が何も起こらなかったらしい。部品が一つなくても新たなバランスを立ち上げることができる、そこには生命があるという当たり前のことに気づいたと。ロゴス、言葉で自然現象を切り取りすぎるとそのものの本質を見失いがち。

結局何も異常が起こらなかった遺伝子実験の挫折体験から動的平衡の考えへ行きついたらしいのですがその動物実験が良い悪いとロゴス的に判断するのではなくその実験という山を登らなければ次の山、風景が見えなかったわけで。福岡さんにとって大切な気づき、体験だったんだなと。

坂本さん自身もたくさんの音楽を生み出しながら、たくさんの山をのぼった今だからこそ「async」というニューアルバムにたどりついたと。そして実際に登ったからこそ今、次に登る山がいくつか見えてきたらしい。

何に気づくかということもタイミングも人それぞれ違うわけで。それぞれのプロセスがあり、遅い早いとか良い悪いとかそういところを超えてその人にとってぴったりのタイミングでその人に必要な気づきがやってくるんだろうな。

遺伝子を1つ削除しても新たなバランスを立ち上げる回復力、生命力があるということは、人間の頭、実験では計り知れない生命の謎、自然の仕組みがあるということをはっきり福岡さんは語られていました。私たちの肉体も自然の一部でありそこには実験や人間の頭で説明できない自然現象がたくさんある。カラダは物でなく生き物なので。それは毎日自分のカラダを観察しているとよくわかるんです。

福岡さんが研究されている動的平衡とは、簡単に言うと行ったり来たりすること。

生物はすべて分子で成り立っており、対談ではネズミとチーズの例で動的平衡を説明されていました。ネズミがチーズを食べることによってネズミのカラダが反応しネズミを構成する分子の一部が分解されチーズの分子に置き換えられるということ。食べたものがからだを作るとよく言われますが、食べたものの分子の一部がカラダの分子の一部になるということ。とてもわかりやすい。

人間も分子レベルでは1年ほどで全く別の分子に置き換わっているらしい。生き物の外と中を分子が行き来するこれが動的平衡の考え方。目で見えないけれど人間も生き物も環境、自然もとても風通しの良い関係だと言える。ということは当たり前の話ですが食べるものだけでなく空気や環境などすべてに影響されるということでもありますよね。

お二人の対談から、今実践中の砂糖、タバコ、アルコール、カフェイン、ナス科の野菜なしのヴィーガンという食スタイルも人間、マインド、エゴのコントロールから自然の一部である肉体を解放していく作業だったと再確認できたのですが、人間、マインド、エゴのコントロールがいかに強力かに以前気づいたことがあって。今思えば福岡さんの研究されている動的平衡も同時に体験したと言えるかも。

それは10日間の断食に参加した時のこと。もう7〜8年ほど前になるのかな。こんな風景が広がる山の中のホテルでの断食でした。 fasting01 断食会場に到着した時は初めての断食体験だったのでややテンション高め。体調が悪いわけではなくとっても元気でした。しかし翌朝断食初日、急激なカラダの変化にびっくり…。カラダが重く何だか気持ちが悪い。風邪気味でもなかったし熱もない。だるいというかベッドから起き上がれない。

断食期間中、毎日朝夕のシェアタイムがあるのですがなんとか参加するために部屋から出て椅子に座ったはいいけれど頭を持ち上げられず下にだらっと上半身を持ち上げられない状態でシェアタイムがスタート。私の状態を見ていた主催者がすぐに前へきて今の状態を話してみてと。そこで自分のカラダの状況をダラっとした格好でシェアしたような記憶があります。そしてアドバイスが一言「マインドのコントロールが外れたんだね。滝へ行ってごらん。」と。

私は元気だと思っていただけで、実は体の中はエネルギーがなく充電切れだったわけで。じゃあなぜ体は普通に動いていたのか。それはマインド、エゴ主導でエネルギーがなくても弱音を吐かず頑張りなさいと無意識に体をコントロールしていたということ。これはなかなか気づけない。昔の私ならさらにエネルギー切れの体にコーヒーや白砂糖の甘いもの、暴飲暴食で鞭を打ち体と戦っていました。

ぐったりした体をなんとか起こしてメンバーについて滝へ。山の上で断食しているにもかかわらずさらに上を目指して山を登っていかなければならないので気分も悪く体も重いと大変でしたが。なんとか山を登って滝へ到着しました。そしてこの写真、この滝に入ったんです。 fasting02 そうしたらあれ?カラダがシャキッとスッキリ。え?!何が起こったの?という感じ。滝、冷水のエネルギーはすごいよというお話は聞いていましたがこんなにも一瞬にカラダが変わってしまうなんてビックリ。エネルギーを一瞬にしてチャージできる滝ってすごいかも。自然の中にはエネルギーが満ち溢れている。カラダにエネルギーを与える方法は食べることだけではないと感じた瞬間でもありました。

この写真の滝に思いっきり打たれたというわけではなく滝のちょうど裏側が歩けるようになっていてそこでこぼれてきた滝の水やしぶきを浴びる感じ。その後滝の目の前に溜まった冷水の中にも入ってみましたが。震えるぐらいめちゃくちゃ冷たいけれど気持ちいい。

水道水とは違う、山という自然から吹き出す水は半端ないエネルギー、生命力を持っているんだと感じた瞬間でした。もちろん冷水なので冷たいのですがそれも自然あるがまま。水も生きている。

滝は修行僧の滝行のイメージでしたが、いやいやお坊さんに独占させておくのはもったいないと思ったり。生きている生命エネルギーをカラダにチャージするには最高の場所でした。帰り道、断食会場であるホテルまではカラダが軽いし気分は最高でした。

この時、毎日無意識にどれだけ自分の体をコントロールしているのかがよくわかったんです。自分では元気だと思っていたけれど無意識にしっかりやるべきことをやりなさい行動しなさい頑張りなさいとマインドが言い聞かせコントロールしていた。全くそんなつもりはなかったのですが。

自然のエネルギーが強い場所に行くと、おそらく福岡さんの言う動的平衡が空気や環境とカラダの間で起こり自然の一部であるカラダにスイッチが入ったんだろうと思います。カラダ主導、自然主導になった私のカラダは、人間のコントロール、マインドのコントロール、エゴのコントロールから一気に外れ一気にぐったりしてしまった。ぐったりした姿は恐怖と思うかもしれませんが本来の姿に戻ったというだけのこと。全く気づかなかったけれど私の体はとても疲れていた。毎日、無意識に私、マインド、エゴが体をコントロールしていることが今はよくわかる。

この滝での体験で、滝から吹き出す水のエネルギー、分子と私の体の分子が行き来し福岡さんのいう動的平衡が起こっていたんだなと思うと興味深い。目に見えないけれど分子が常に行ったり来たりして影響し合っている。口から食べ物を入れなくてもカラダの周りに存在する、太陽、空気や水、感情などすべてはエネルギーで影響し合っていることも腑に落ちる。

いまだ福島で出し続けている放射能も、農薬も排気ガスもタバコの副流煙もカラダも食べ物も物質ではなくエネルギー。そしてすべては分子レベルで行き来ができる風通しのよいエネルギーということが体験からもよくわかる。だから環境が汚れる、自然を操作するということは自動的に自然、環境の一部であるカラダも汚れる、操作されるということ。ここからここまでと切ることはできないしすべては繋がっていると感じる。

現代社会では疲れて果てエネルギーがなく、消耗しきっているにも関わらずカラダに鞭を打って頑張れと無意識にコントロールしている。疲れきった体、消耗しきったカラダにさらにカフェインやアルコール、白砂糖でエネルギーチャージさせているつもりかもしれませんが、実は肉体をさらに疲弊、消耗させている。

人間は自然の一部であるカラダをコントロールしようと無意識に戦っている。現代の食生活はとても人工的、人間、マインドにコントロールされているわけで。その人間のコントロール、マインドのコントロールからフリーになるには意識だけではなく食べることを見直すことが結構大切になってくる気がしている。意識を変える前に体の声を聞きながら食べることをしていくと自然と意識も変換されていく。そしてその人間、マインド、エゴのコントロールがいかに強力かということをコントロールから外れるとよくわかる。

私はアルコール、カフェインはすぐやめられましたが、砂糖からフリーになるのは大変だったので。砂糖中毒もある意味マインド、人間のコントロール。砂糖を口にしないことはある簡単。でも何か口がさみしく食べないではいられない異常な食欲というか頭がマインドがもっともっと欲しいという抑えられない欲求がすさまじかった。異常な食べ方はやはり砂糖のコントロールからはずれてそういうことかとはじめてわかったことで。砂糖依存、砂糖によって本来の姿が失われカラダに必要ないものをむやみに食べ内臓を消耗してしまう。食に限ったことではないですが食べることも先祖代々受け継がれているコントロールでもありますから。

アルコール、カフェイン、砂糖など自分にあわない食べ物からフリーになると食べることに対する態度、意識も変わってくる。カラダの声に従うと食べ過ぎることができなくなってくるし、毎日3食〇〇品目を食べなければならないとかそういうところのコントロールからも自然にはずれていく。本来の自分の食スタイルにもどっていく。そして時には食べない方が集中できたりと不食という世界や次に見える山、景色も変わってくる。

福岡さんも現代社会のロゴス、人間のコントロールの強力さを話されていましたが本当に私もその通りだなとカラダをいつも観察しながら思ってしまう。次回につづきます。


Category:culture  Tag:ヴィーガン / 坂本龍一 / 福岡伸一 / 自然 / 音楽

坂本龍一さんと福岡伸一さんの対談で再認識。私にとってヴィーガンという食スタイルはカラダを人間のコントロールから解放するというチャレンジ。

先日音楽家の坂本龍一さんと生物学者の福岡伸一さんの対談がとても面白かった。彼らの対談から、あっそういうことだった、忘れていたなと再認識。ずっと言われ続けていたことなのでわかったつもりになっていましたがやっと腑に落ちた瞬間でした。私にとって現在の食スタイルは人間、マインド、エゴのコントロールからカラダを解放するというチャレンジ。これが今のところ一番しっくりくる説明のような気がする。

このブログタイトルもわかりやすくヴィーガンライフとしていますが、表現しきれているかといえばやや微妙。肉体である自然は日々変化し全く同じ日がないし食スタイルも常に変化しているし、ヴィーガン、完全菜食というだけでなくアルコール、砂糖、カフェイン、タバコ、ナス科の野菜などカラダがいらないと言ってくるものは食べていないので。

今の私は「良い食べ物はこれ、悪い食べ物はこれ…。」というわけでもなく「もっと長生きしたい。」というわけでもなく「もっと健康になりたい。」というもっともっとという状態でもないのです。

ただカラダをあるがままの本来の姿に戻す、人間、マインド、エゴのコントロールから解放するというそれにつきると思いました。たまたま私の場合は原因不明のカラダの症状や病気によって食べることを見直すことからそのチャレンジがスタートしましたが。

有名な音楽家と生物学者という全く現在の私と関係のない分野の方々の対談がどう関係するの?と思われるかもしれませんが通じることが多々ありうなずきまくり。確かに坂本龍一さんの音楽は好きだし、彼の存在、考え方はいつも気になっていた。福岡伸一さんはコラムがおもしろく私でも理解しやすいのでこちらも気になる存在でした。

対談は福岡さんが坂本さんをインタビューするかたちで坂本さんのニューアルバムのコンサート会場(NY)ではじまる。

8年ぶりに発表された坂本龍一さんのニューアルバム「async」。日本語で「非同期」ずれるという意味。同期しまくりの現代社会とは真逆のタイトル。

坂本さんは2014年、中咽頭ガンと宣告され治療に専念されたのですが、その間に完全菜食、ヴィーガンになられ現在では魚介類は食べるとのこと。お肉は一切食べていないそう。

坂本さんが今最も気になる音、大切にしている音は「Noise」。子供達の声、雨音、都会の喧騒であったり、自然が奏でる音は秩序立っていない、そろっていない、ずれている。「async」では楽器音に環境音や自然音という坂本さんが今聴きたいと思う音を集めコンピューターに取り込み織り交ぜている。自然音や環境音はそれぞれの音が固有のテンポを持ち、一見ノイズととらえ排除しがちだが排除するのではなく一つの曲に共存しているそんな世界。視聴してみましたがとても良かった。

坂本さん曰く音楽もノイズはますます排除され人工的にコントロールされていると。楽譜も人間が秩序立てて構成されたものであってそれが良いとか悪いとかロゴス的な切り取り方をするのではなく、そもそも音、音楽とは何なのか本質を問いていました。

ロゴスとは。ロゴスは言葉、意味、概念。福岡さんが対談でわかりやすく説明をされていました。人間は言葉による分ける力、分節の力がものすごく、秩序を作って名前をつけて切り取る作業をたくさんしてきた。切り取られすぎると本来の姿、自然の姿、奥深さが見えなくなる。例えば空にはたくさんの星があるけれど人間はそれを点として抽出し、切り取った星座として名前をつける。そこに存在するその星の奥深さ、大きさや距離など全く同じものはないわけで一度切り取ってしまうとその星の本来の姿は置き去りにされてしまい表面だけを見てしまうことになる。星座と名付けることが良い悪いそういうことを言っているわけではないですよ。

ちょっと思い出したことがあって。ある子供は魚というものは切り身が海で泳いでいると思っていたという話。スーパーで買う魚はいつも切り身だったから。本来は魚という全体の姿があるわけで。その話と似てるなと。

坂本さんが10代のころに出会ったジョンケージという音楽家がいるそうで、彼は1952年にノイズを聴いてみようと音を人間のコントロールから解放することにチャレンジした方らしい。坂本さんもそれにチャレンジされていて。ピアノをあえて普通に弾くのではなく叩いたり金属でガリガリとやったりズラして演奏したり。これは弾くよりも予測不可能になり、だから音、音楽は一回性のものであって毎回同じ結果にはならないと。そしてその一回性に意味がありそこにアウラ(オーラ)があると。

発売前の坂本さんのコメントに「誰にも聴かせたくない。自分だけで聴いていたい。」とあったらしいのですが、それは単に独り占め、ただ単に聴かせたくないということではなくコピー、複製、複製、複製という行為で音楽を共有するというよりは、音、音楽の一回性を大切にしたいという思いからなのでは?と福岡さんが言い当てていました。

この複製という響きは養殖にちょっとリンクしました。物を複製する感覚でもっともっとたくさん人工的に同じ種類の生き物を作るという流れ。そこには命があるわけで。人間が命を薬漬けにしてコントロールして作っていいものなのだろうかと思ったり。

坂本さんは音楽、音を本来の姿に戻したいと。ピアノも人工的な加工を経て作られているわけですが、そもそもは木と鉄でできているわけで人間のコントロールから解放してあげたいと。音、音楽の一回性を大切にしながら坂本さんは音楽家として音、音楽を人間のコントロールから外すチャレンジをされているということがよくわかった。

私が実践している食生活がまさに人間、マインド、エゴのコントロールから肉体を解放するという地道な作業。坂本さんの音、音楽に向き合う姿勢と通じるものがありました。自然の一部であるカラダは常に私たちに語りかけている。眠気、だるさ、音、痛み、かゆみ、ただれ、匂い、出血などすべてカラダの声はノイズ、怖いもの、嫌なもの、ネガティブなものいらないものとして排除されがちですが、本来排除すべきものではなく必要なもの。

薬や手術など排除したりその生命の流れを止めてしまう近代医学の考え方はまさにロゴス的。〇〇病とすぐ病名をつけて表面だけを切り取る。病気は悪で健康が良いと何でも名前、レッテルをはりわけて判断してしまう。ロゴス的発想では自然を理解すること、自然である肉体の奥深さ、様々な細胞や内臓の全体としての働きや自然、環境とのつながりなど本来の姿を見ることはできない。

私たちの肉体も人生も一回性。生命も一回性。一回性だからこそそこにアウラがある。病気もそのアウラ、生命が宿る肉体の周りにある層を破って侵入してくる。だから肉体に症状が出るということは随分前からその病気というプロセスは始まっているということになる。肉体が元気であればその周りの層がしっかりバリアをしてくれるのでそうそう病原菌が侵入してくることもないという話を以前聞いたことがある。

電子レンジも便利かもしれませんがアウラ、生命力はなくなってしまう。目に見えることだけ、物質だけを見ていると本質が見えなくなる。

書ききれないので次回に続きます。

明日金曜日の24時からNHKEテレでこの対談、SWITCHインタビューの再放送があるようです。ご興味のある方はぜひ。


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自己紹介写真 こんにちは! 穀物菜食(VEGAN)という食スタイルに 出会ってから、ずっとつらかった原因不明の カラダの症状がいつのまにか消えていました。 動物性食品、ナス科の野菜(トマト、じゃがいも、なす、ピーマン、唐辛子)、アルコール、カフェイン、 白砂糖なしのVEGAN LIFE(ビーガン ライフ)を楽しみながら 日々の気になることを綴っています。

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