Category:culture  Tag:おだやかな革命 / 映画 / 自然

背中を押された映画「おだやかな革命」。ステキな映画だったよ。

「地球や自然を汚すような仕事をしたくない。自然の循環の中で生きたい。」

カナダから移住した男性が、とてもわかりやす英語で、なぜ岡山での暮らしを選んだのか、「おだやかな革命」という渡辺智史さん監督のドキュメンタリー映画の中で語っていたシーンがとても印象的でした。彼はまさに循環の中で生き生きと暮らしていた。

10代のころ、環境授業の中で「自然を壊してまでやってはいけないことがある。」と頭によぎったことがあった。でも、自然の一部であるカラダを整えることは実践していても、実際の暮らし全体に関してはまだ行動に移せていなかった。そう、もう地球を汚すような暮らし自体が、自分にとっては心地よく感じられないんだと見つめ直すきっかけになり、モヤモヤしていたものが、目の前の映画を見ることによってスッと晴れていくような気分になりました。

このドキュメンタリー映画では、4つのストーリーが紹介されている。福島原発事故後に福島県の酒造の当主が立ち上げた会津電力のお話。岡山県では、ほぼお金にならなかった地域の間伐材を使って若者が起業、移住する1500人の粟倉村のお話。そこでは地域通貨が流通している。また、岐阜の群上市にある約100世帯の小さな集落、石徹白に移住者が中心となり地域に残る農業用水路で小水力発電事業を立ち上げたお話。秋田県にかほ市にたつ風車を起点に、生活クラブ生協が都市と地方との新しい関係づくりを続けているお話。

それぞれの土地で誰かを、何かを犠牲にすることなく自然の力をかりて小さな循環が生まれ、それぞれの地域で自立し、しなやかに生きていく姿を通して、現代社会が見失った、これからの時代の「豊かさ」や「お金」に依存しすぎない価値観などについて考えさせられる内容でした。何も行動に移さず「頭からそんなこと無理でしょ。」とか「絶対できない。」と議論や批判をするというより、淡々と自ら実際に行動を起こし、チャレンジしている人々の姿に、エネルギーや情熱を感じとても魅力的だった。

出演者は、み〜んな揃っていい顔をしていることに気づき驚いた。本来の自分の役割を思い出し、自然の仕組みの中で本当にやりたいことをただ素直に実践しているとこんなにも、人々のエネルギーが活性化され、働く姿、表情までもが生き生きしてしまうんだなぁと。あるがままの人々の姿や表情がとても美しかった。

本当の美しさはシンプリシティの中に、心地よさの中にあるんだね。ローカルでは繋がりがあるから多少何か予期せぬことが起こってもなんとかなると安心して生きていける。以前から自給自足の生活が一番強いと思っていたけれど、都会は食料もエネルギーも全て依存しているから危ういね。手間をかけて生きる、大きなものに依存せず自立する、足もとをみる、自然の力をかりる、日々を豊かにしていく、自分ごとにしていく、日々の暮らしの中で誰からものを買うのか、つながり、内部循環などなど、映画の中でこれからの豊かさにつながるキーワードがたくさん散りばめられていました。

もう、できない理由を並べずできることからやろう。そう背中を押された気がしました。すでにさまざまな活動を実践されている方々のリアルなストーリーを、一度に感じることができ本当に見てよかったな。気づいた人はもうとっくに動き出しているんだね。個人的には、莫大なお金を動かして、巨大なものや大規模な仕組みを作り続けることは自然の仕組み、調和にかなっていないだけでなくもう時代遅れだと感じる。きっと、大きなものに依存しないこういった小さな行動、おだやかな革命が、これからの世界を変えていく。鶴田真由さんのナレーションもステキだったし、この映画の監督、渡辺智史さんの次のドキュメンタリー映画「YUKIGUNI」も気になりました。

そうそう、1年中パタゴニアのリュックで過ごしている私ですが、故郷である地球を救うためにビジネスを営むパタゴニアの日本支社は、「生活クラブでんき」がベストだということで、全てではないですが一部で使っているそうです。

私も自分の足元からもう一度再スタート。食だけでなく、暮らし全体をどうハンドリングしていくのか、マインドのささやきではなく、魂、カラダの声に耳を傾け少しずつ実践あるのみ。どのようなプロセスでつくられた電気を使うかということも大切ですが、自分の暮らしを小さくする、適正サイズにすることも同時に大切なこと。本来の自分に合った心地よい食生活やライフスタイルを思い出していくと、実際にそんなにたくさんのもの、エネルギーが必要なくなってくる。自然の仕組みの中に存在する調和と逆行しているキーワードは「もっとたくさん」「もっと大きく」「もっと早く」だからね。

これからのあなたにとっての「豊かさ」とは「心地よさ」とは何ですか?

|おだやかな革命の公式HPはこちら


Category:culture  Tag:お花 / フルーツ / 無農薬 / 表参道 / 野菜 / 青山ファーマーズマーケット

毎週末開催の青山ファーマーズマーケットで昨年見つけた無農薬のお花屋さん。

毎週土日、青山の国連大学前で開催している「青山ファーマーズマーケット」。ちょうど昨年の今頃お天気が良い土曜日、ビオランドさん(2018年12月で出店は終了。)のパンを購入し、もう一つ気になるお店がありました。それは無農薬のお花屋さん「Luna」。

ユーカリのドライフラワーを探していたので、私はドライフラワーを購入。ユーカリのドライフラワーは1束¥500(税込)とお安い。 IMG_3565 そばによっても、薬のにおいがしない農薬不使用のお花たち。露地栽培のお花を今摘んできたらしく、色が鮮やかでとてもきれいで輝いていました。しばらくその場所から離れられないほど。自然な香りで本来あるがままのお花はやっぱりここちよいなぁと。 IMG_3564 お花やさんで働いていた方から、お花を育てるためにたくさんの薬を使っていると以前聞いたことがありましたが、ふつうのお花やさんのお花はどうしても薬っぽい匂いがするので、いつの間にか自分では買わなくなってしまいました。普段歩いている時、道端に咲いているお花や木々で十分楽しませてもらっていますという感じ。

農薬を使わないお花や野菜、本来は特別なものではなくふつうのことなんだけどなぁ。 ラベンダーもいい香りでしたよ。やさしい自然な香りは心身ともにリラックスできる。

自然栽培レモンや立派な自然薯、すばらしい素材にも出会えます。 IMG_3567 IMG_3566 IMG_3569 生の自然薯めちゃくちゃ美味しかったな。 IMG_3613 レモンもね。 IMG_3581 グリーンの上にディスプレイされいているオシャレなカゴバッグ。カラーもデザインもいろいろあってステキでした。 IMG_3561 「青山ファーマーズマーケット」に毎回出店されるお店もあれば、月1のお店もあったりとさまざま。昨年出会ったこちらの無農薬のお花屋さんは、HPで確認したところ今回は見当たりませんでした。

この土日もたくさんの人で賑わってるんだろうな。ピンときたらぜひ。

|青山ファーマーズマーケットのサイトはこちら


Category:culture  Tag:お正月 / デザイン / ポチ袋 / 雑貨

シンプルでかわいいポチ袋

紙製品は大好き。三省堂神保町店のちょうど裏手にある文房堂さんという創業1887年(明治20年)の総合画材店があるのですが、1Fがちょっと面白いのです。

最近は猫グッズがかなり増えている。もちろんそれもかわいいけれど、猫グッズだけではなくちょっといい感じの紙製品や雑貨、子供のおもちゃなどいろいろ見ているだけでも楽しい文房堂さんセレクトのものが並んでいるのでフラッとたまに行きたくなる。

そこでパッと目に入ったのが、ポチ袋。来年の干支、かわいいイノシシのイラスト入り(4枚入¥200/税抜)と水引き(3枚入¥300/税抜)。11月初旬からポチ袋をいく先々で見ては、イノシシのイラストの鼻がちょっと違うなぁとか色がう〜ん…イマイチピンとくるものがなかったけれどようやく見つけた。

普段から探しているちょっと一味違う水引きのポチ袋も一緒にゲットできてかなりうれしい。この水引きポチ袋、なかなか素敵なものがないんですよね。普通のものはどこでも売っていますが…。



ネットで調べたら、株式会社ピンナップさんの製品のようです。ちょっとしたことなんですが、金色のシルク印刷が効いている。ちなみにイノシシのイラストの方はTriangleさんの製品です。

|文房堂さんの年末年始の営業時間や最新情報は >>こちら
|文房堂さんのホームページは >>こちら


Category:culture  Tag:お正月 / デザイン / 雑貨

紙紐でつくったシンプルなお正月飾り

やっと完成。家にあった紙紐で何か作れないかなと去年閃いたのがお正月飾り。作ったけれど何かが足りたいとそのまま陽の目を見ずに終わり、何かが閃くまでほったらかしにしていました。

1年寝かせて、あっという間に2018年も終わりだなぁと思っていたら、先月、なんとなく白い紙で紙垂をつくってみたらピッタリで。なんとなくこんな感じにしたいモヤモヤしたものはあったのですが、実際出来上がったものはめちゃくちゃシンプルでした。2年越しのお正月飾り、完成です。

無印良品のお正月飾りも見たけれど、ピンとくるもにがなくて。。。東急ハンズやデパートでシンプルなお正月飾りを少し見つけました。でも、好みのものが昨年からなかなか見つからず。自分でつくってみたらしっくりきた。これ、とってもシンプルで、しかも安くできるから超お気に入り。

今回に限らず、何でも無理してすぐに完成させないといい感じになる。時がくればなるようになるというか。「待つって楽しい。」と思える今日この頃です。

来年もまた紙紐で作ってみよう。


Category:culture  Tag:お菓子 / グルテンフリー / スイーツ / テイクアウト / パン / フルーツ / ヴィーガン / 原宿 / 渋谷 / 砂糖不使用 / 雑貨

EARTH DAY TOKYO 2018

今日はアースデイ。地球のことを考えて行動する日。

渋谷方面に用事があり、山梨のごぱんさんも出店されると知ってちょっと寄ってみました。ちょど会場に到着した時、C.Wニコルさんも歩きでそれもお一人で到着されたところだったようで、花壇の端の方で休憩されようとしていました。

一番最初に目に入ったフェアトレードのお店、クラフトリンク。 IMG_3430 こんなハンドメイドのジュートの雑貨がたくさん並んていました。 左端にあるのは卓上ミニほうき。人気らしいです。持ち手の先端が、ライオン、しかなどの動物になっている。とてもステキ。麻で作られた動物の置物たち。ジュートのバッグなどもありました。 IMG_3486 中でもしまうまが気に入ってしまい、一つ購入。¥780(税込み)でした。手作りで一つ一つかたちも色も微妙に違うからそこがとてもいい。雑貨を買う予定ではなかったけれどハートに響いた久しぶりのかわいい雑貨。出会えてうれしい。中にワイヤーが入っているから手足を自由に曲げられるらしい。オンラインショップでも購入可能。

ごぱんさんはどこかなぁと歩いていたら、アレッポの石鹸も売っていて。 IMG_3432 お次はフィリピン産無農薬のバナナが目に入り、 IMG_3434 一本から購入可能で思わず購入。¥100(税込み)とお安い。 IMG_3437 ほどよい甘みであっさり食べられる。しつこくなくてとっても美味しい。オーガニックでも輸入バナナの独特の匂いがそういえばなかった気が…。だからとても食べやすかったなぁ。食べた後のバナナの皮はこちらへ。 IMG_3435 山羊の餌とか何かの餌として使うらしいです。バナナをほうばりながら、ごぱんさんへ到着。 IMG_3445 人だかりがなくゆっくり選べるなぁと思ったのもつかの間、いつの間にかお客さんでいっぱいになっていました。 IMG_3439 IMG_3441 お目当ての南部全粒粉100%、全粒粉と玄米の自家製酵母、塩ので作られているサワーブレッド(¥500)を一つ、久しぶりに購入できてうれしい限り。グルテンフリー、稗粉のバナナブレッド(¥400)も。 IMG_3482 大根入りの蒸しパンも買いました。全粒粉の蒸しパンおいしい。大根の味付けはねりごま、醤油、塩のみ。シンプルで絶品です。あと、玄米おかゆぱんスイートポテト桜風味も絶品でした。もちろん甘味料なしです。 IMG_3449 本当に優しい甘み、旨みでカラダが喜ぶおいしさ。 IMG_3502 サワーブレッドは、リトルクッチーナユメさんの天然酵母のカンパーニュと同じく、旨みがあって本当においしすぎ。いつも思うのですがもう一つ買えばよかったな。スライスして即冷凍。端っこを2枚食べましたが蒸してもトーストしても絶品です。

今日は、ビーガングルメ祭りもありましたが、今回そちらはパス。食べられるお店、気になるお店もあまりなかったので。また秋に行けたらいいかな。

お天気も良く、アースデイ東京2018はにぎわっていましたよ。一度、山梨のごぱんさんへ行ってみたいな。

●アースデイ東京
http://www.earthday-tokyo.org

●organic cafe ごぱん
http://www.gopan.jp/index.html

●craftlink クラフトリンク
http://www.craftlink.jp


Category:culture  Tag:自然

「身軽に生きる」若い人たち。彼らも日経MJの記事もいいね。

若い人たちの意識は新しい流れにしっかりキャッチアップしてるんだな。

日経MJに若者の最近のライフスタイルがバーンと載っていて。思わず目が言ってしまった。

「在庫は持たず小容量が好き。」「平成生まれはギリギリ消費。」と見出しがあったけど、なかなかステキなことが載っていて。もちろんお金に余裕があることは悪いことではないけれどお金もエネルギーなわけで、軽やかな若者にどんどん必要な時に必要なエネルギー、お金が流れれば余分に持つ必要はないのかなと思ったり。

なぜそんなことを感じるかというと、カラダを観察していると呼吸だったり血液の循環だったり、出して食べるとか、常に流れている循環している状態がふつうというか心地よいから。もし食べたものを溜め込んでいると便秘になってお腹が張ってそれがもとで病気を引き起こすこともある。滞りがない、溜めない、常にエネルギーが循環している、これが自然の摂理なんだなと。エネルギーであるお金も同じことのようなきがする。

「食べきるのがプレッシャー」。この見出し、めちゃくちゃわかる。あまり以前のようにたくさん食べられなくなってきたそんな時期、昔の記憶のままに食料を多めにストックしていたら、ジャムやパスタ、インスタントラーメン、ストレートジュースなど賞味期限がどんどん過ぎてしまい、食べきるプレッシャーで疲れてしまったことがあったな。野菜や果物もそう。海外のように広場でマーケットがあってその日に必要な分だけ新鮮な野菜や果物を毎日気軽に買えるといいなと。究極は自給自足をついつい思い描いてしまう。

「日用品も使い切り。」「割高でも必要な分だけ。」私もようやくそうなってきた。食べ物だけでなく食のスタイルが変わっていくと、ライフスタイルも自然に変化し物欲が比べ物にならないほどなくなった。ゼロではないですよ。不必要なものまで衝動買いしないという感じ。まとめ買いが安いといっても、本当にそれを使い切れるのかといったら疑問。電池や消しゴムなどたくさん使う場合はいいですが、消しゴムはとりあえず割高でも一個あれば十分で。ホント若い人たちは自然のなりゆきかもしれないけれど軽やかでいいな。

そんな意識で私も10代20代をすごせたら、必要ないところにエネルギーを消耗せず、もっとやりたいことだったり他にエネルギーを費やせたし、きっと毎日がもっと気楽な気持ちでゆったり過ごせただろうなと。

「財布の中も最小限。」「今欲しいものを厳選。」「身軽に生きる。」すばらしい。

新聞はもう随分昔に購入はやめ全く読まない人ですが…。はじめてかも、久しぶりに新聞のニュースに興味を持ったのは。

若い人たちの感覚、意識や変化は要チェック。自然の流れがよくわかる。


Category:culture  Tag:坂本龍一 / 映画 / 音楽

Ryuichi Sakamoto: CODA

東京・角川シネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国映画館で上映中の世界的音楽家、坂本龍一さんのドキュメンタリー映画、「Ryuichi Sakamoto: CODA」。3.11、原発、9.11、坂本さんの闘病の記録や日常、音楽制作の過程であったり、そして今までつくられたたくさんの音楽も映像とともに聞くことができてとてもよかった。

東日本大震災で津波にのまれた学校のグランドピアノを弾く坂本さんが、その音に違和感を感じるというよりはとても自然な音と感じるとおっしゃっていて。私もそう思いました。全く嫌な音とは思えなかった。

映画の中で、ピアノも元々は自然の中にあった木を何層にも重ねて長い時間をかけて鋳型にはめ込む。ピアノの音も人間が人工的に作り上げた音。人間から見れば調律され整えられた音がピアノの自然な音ではあるけれど、自然から見たらそうではない。調律せずに狂っていくピアノの音こそ本来の自然の音であり、木が自然の姿、音に戻ろうとしているわけでとそんな話が印象的でした。

調律された音がよくないとか、どちらが悪いとか良いとかではなく両方が存在するという意味でその二つの視点が面白い。

北極圏で氷の解ける音を採集したり、森の中を歩きまわりたくさんの自然な環境音を集めたり。その集めた音、素材を坂本さんが組み合わせて重ねていく。

これってお料理でもデザインでも何でも通じるプロセスで。素材を選んで編集していく作業、この過程は同じものはなくアイディアは無限大で。楽しくワクワクするからなんでもつくるって楽しい。

坂本龍一さんの音楽はなぜか昔から好き。本当に心地よい。心にグッとくる。asyncにも収録されている坂本龍一さん自身が作曲されたコラール、映画の中でも聞けるのですがめちゃくちゃいい。バッハを思い出す。

映画館は全く混んでいなかったけれど若い人や外国の方、興味のある方は見にきていました。ピンときた方はぜひ。

来年1月27日(土)から坂本龍一さんが今年の4月にニューヨークのパークアベニュー・アーモリーで行った「async」のライブの模様を収めた「坂本龍一 PERFORMANCE IN NEW YORK:async」が東京・角川シネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国映画館で上映されるようです。

●「Ryuichi Sakamoto: CODA」公式サイト
http://ryuichisakamoto-coda.com


Category:culture  Tag:ヴィーガン / 坂本龍一 / 福岡伸一 / 自然 / 音楽

坂本龍一さんと福岡伸一さんの対談から自然の絶え間ない流れが見えてくる。

坂本龍一さんと福岡伸一さんの対談から今の私の食生活は人間、マインド、エゴのコントロールから肉体を解放する作業だったと再認識できましたが、坂本さんの今回のニューアルバム「async」(同期しない、ずれる)もフィシス(自然)の回復運動、async(ずれること)の再確認をされているのではないかと福岡さんがズバリおっしゃっていて。

フィシスとは自然、ありのまま。物理学(physics)、生理学(physiology)もフィシス(phsis)からきている。

音は本来一回性であり振動が伝わって自然に消えていくものが音であって一回しか起こらないから素晴らしい。そして自然はバラバラで秩序だっていないけれどそのままで豊かであると。生命も人生も同じですよね。

人間が分節の力で名付けたノイズというものを排除するのではなく音はそもそもノイズ。人間が音の一部を切り取ってノイズと名付ける前はこの世はノイズだらけなわけで。

今まで名前をつけたり言葉によって人間は世界を何でも分けてきましたがいきつくところまでいってしまい身動きできなくなっている気がする。生きにくい社会というか、カラダもコントロールされすぎて病気だらけ。負のスパイラルにはまっているというか。

人間が秩序立てて構成した音とノイズとして排除されがちな自然音(環境音)を分けずに、両方が同時存在する、あるがままの姿にもどす、それが人間、マインド、エゴからの解放だとすると、わけていたものをもとの姿にもどす、例えば善悪とか病気と健康とか2つに分ける二元性を超えて両方あるときづき1つに統合していくことと同じ気がする。

病気が悪、健康が善と世界を分けるロゴス的な判断をするわけではなくすべては生命、自然現象、あるがままという俯瞰した見方。

無意識に人間、マインド、エゴにコントロールされた食生活ではなく意識的にカラダの声を聞く食生活を実践していると、次に自分の無意識の中にある先祖代々受け継いてきた感情、思い込み、考え方にも気づきはじめる。例えば「毎日3食食べなければならない。」「牛乳は毎日飲むべきだ。」その「〇〇しなければならない」とか「〇〇するべき」とか「〇〇することは良いことだ。悪いことだ」など自分のスタイルに合わない常識を疑い気づいて外していく作業。毎日3食食べることが悪いとか良いとかロゴス的な発想、視点で言っているわけではないですよ。自分のカラダだけでなく行動、生き方をたくさん制限して無意識にコントロール、ブレーキをかけていることになっていたりする。

何に気づくか、何を実践するかは人それぞれ違うと思うのですが、人間、マインド、エゴからの解放によってカラダや精神が楽になっているということがポイントのような気がする。心身ともにリラックスできているかどうかが結構大切で。私の場合は合わない食べ物である白砂糖やカフェイン、アルコール、動物性食品によってカラダは負荷がかかりさまざまな体の症状が出てリラックスできなくなってしまう。

坂本さんはこのアルバムで終わり方が大切だとおっしゃっていて。いつ終わるのかわからない中やめる瞬間を非常に意識したらしく。作曲中も自然に筆をおく瞬間があるとかなり強く感じていたと。その筆を置く瞬間を過ぎてしまうと余計なことをたしてしまうからとそこを意識されていました。

人間の死も同じで筆をおく瞬間、寿命がある。生まれるということは同時に必ず死ぬということでもあり。ただ現代の死は筆をおく瞬間に筆をおくという自然の流れの中に死はない気がする。人間、マインド、エゴのコントロールの中で生きていると余計なことをたくさんしてしまい自然には死ねないのかもしれない。カラダを観察していると病気はいろんな意味で人間、マインド、エゴがつくりだしているようにも思ってしまう。私が実際無意識にふつうという常識通りの食生活によって様々な原因不明のカラダの症状に悩み苦しんでいたので。しかし今はそれがない。もちろん、食べ物だけでなく、空気、水、海、タバコの副流煙、排気ガスなどの環境や様々な無意識のくせ、感情のパターンなど複雑に入り組んでいるとは思いますが。

そういえば人は病気で死ぬものではないんだよと聞いたことがあって。 インディアンの長老の話がまさに筆を置く瞬間を見極め自然に穏やかに死を迎える話だったことを思い出しました。長老は自分が死ぬだろう瞬間、筆をおく瞬間を察知し、その前に1人1人に言葉を残しお別れをした後1人離れへこもり静かに息をひきとると。

そう考えると現代人の死も今はむちゃくちゃというか、人間、マインド、エゴのコントロール下にあってエゴの勝利といえるのかもしれない。病気も人間、マインド、エゴがつくりだした幻想にも思える。

意識的に食べながらカラダを観察していると、オーガニックでいくらカラダによいからといっても食べ過ぎると内臓が消化活動でエネルギーを消耗しカラダはダウンする。食べ過ぎもマインド、何か充たされない無意識の感情が関係していたりもするらしい。

「健康のために〇〇を食べなければならない。」食だけでなく「寝ずに〇〇を頑張らなければならない。」「〇〇は便利だから買わなくてはならない。」など外界の情報にふりまわされなくなってくる。人それぞれカラダは違うわけで必要な食べ物も量もそれぞれ違う。意識的な食生活は本来の自分のスタイルに戻っていくことにつながる。

だから意識的に食べることを続けていくと、食だけでなくライフスタイル全体が変わってくる。今これがはやりだといくらマスコミが発信していても自分には必要ないと感じる。自分にとって何が大切なのか、自分は何をしたいのか、何を食べるのか、以前よりクリアになってくるというか自然とそういう流れになってくる。

人間、マインド、エゴのコントロールから解放されてくるとやみくもに食べなくなってくるから体も消耗しない。私の場合それだけでなくやみくもに買わなくなってくるからお金を浪費しない。そしてやみくもに動かなくなる。何も挑戦しないというわけではなく以前より上手にカラダのエネルギー、お金のエネルギーすべてのエネルギーを使うようになってくるような気がする。

そうすると自分のことも少しずつ何となくですがわかってくる気がするし、何をするのか自分に聞く自分自身を見つめる、内観することが一番早かったりする。自分自身が受信器アンテナになってしまう感じ。

坂本さんも、ニューアルバムの「async」という山を登って次の景色が見えているようで、幾つかの山の何に登ろうか今内観していると言っていました。やはり1つの山を登るには相当のエネルギーが必要だし命も限られているからやみくもに登りたくないと。

意識的な食スタイルから自分自信をますます見つめることに集中したくなってくる。そして感情に揺さぶられることも毎日多々あるのですがリラックス、平常心で常に観察することが日々訓練にもなっている。

そして今この瞬間を感じたいという気持ちも芽生えてきて。これは坂本さんと福岡さんのいう音の一回性にもつうじるかなと思ったり。

最近は耳をふさぐ感覚が嫌なこともあって音楽をイヤホンで聞かなくなってきて。今この瞬間の音を大切にしたいと思うように。犬の吠える声、赤ちゃんの泣き声、子供たちの声、鳥の鳴き声、工事の音、電車の音、話し声すべてを今聞いていたいと思ってしまう。音だけじゃないですよ。目に入るもの、味覚、嗅覚、このカラダで感じることが楽しくなってくる。

なんとなく気になる言葉、気になる人、気になる色や匂いなど、それらが次のステップ何かのサインだったりと今この瞬間にたくさんのヒントが隠れていたりするんですよね。それも一回きり。その瞬間でしか味わえない。まるでロールプレイングゲームをリアルでやっているようなもので、宝物探しのような感じ。どこで何がどうつながるかはその時はわかりませんが。今この瞬間を日常を注意深く観察したくなる。頭、マインドが考えることでいっぱいになっていない状態、リラックスした状態でなんとなくがポイントで、ついつい無視しがちなので意識して見たり聞いたり感じたり。あくまでも私の場合ですが。

すべてはベストなタイミングでおこりノイズだらけで一見秩序立って見えないけれど自然は完璧で予測不可能だからおもしろい。自分にしかわからないことだけれど無秩序のこと、もの、人が後で結構いろんな形で繋がってくる。

私たちが強烈な分ける力によって「良い」「悪い」などたくさん名付けて判断してきたけれど、名付ける前の世界はすべてはノイズだらけであって。そこにもどるということは私たち人間もみんなと全く同じである必要がなくそれぞれのライフスタイルがあって、無秩序に存在していてOKで。みんながあるがままの状態で生きる世界、ノイズだらけの世界が実は1番イキイキ、キラキラしている世界なんだろうなとも思ったり。

お二人の対談の中で、私たちも木と同じ自然の一部なんだよね、と。自分と外部、自分とノイズと分けるのではなく自分もノイズの一部だと。

壊すことの重要性をもっと認識した方がよいと福岡さん。動的平衡(分解と合成)を数理モデルにしたもので説明されていました。生命現象は壊すことをやめない。壊さないと生まれない。作って壊す、ゴミが溜まったから壊すとはまた違う。細胞は一部が壊れると一部がまた合成され、絶え間ない分解と合成を繰り返しながら絶妙なバランスを保っている。実際合成よりも分解が少し多いらしい。

坂本さんは福岡さんに動的平衡の視点から病気はどのような状態をいうのだろうかと質問されていて。福岡さんは繰り返し行なわれる分解、合成のバランスを崩すことではないかと。合成が多くなり分解が滞る状態。常に分解と合成を行い続けている生命現象だから症状を止めるような薬よりももっとバランスを戻すためにさまざまな方向から揺さぶるような漢方のようなものの方がよいのではないかとおっしゃっていました。

フィシス(自然)、生命、は止まらない。常に流れていて変化している。それを思い出させてくれるのが一番身近な生命、カラダという自然。

遺伝子と楽譜は対応するところがあると福岡さん。楽譜が音楽と思いがち、遺伝子が生命と思いがち。秩序だったオーガナイズされた楽譜と遺伝子は生命ではなくただのシグナルであって、それを演奏する人、生きる人によって現象は異なる。

例えば遺伝子が一つなくても全体としては大して変わらないこともあったり、全く同じ遺伝子を持っている一卵性双生児でも違う人格になる。そこに生命の不思議、自然界の流れがあると。

楽譜があれば同じ演奏ができるかといえば違う。演奏する人、聴く人がいて初めて成立する。これは料理にも言えることで。同じ素材を使っても料理人のエネルギーや調理器具によって全く違う味になってしまう。そして食べる人の味覚によってもまた感じ方は様々。

楽譜のシステムも複雑化してきて方眼紙に緻密に書いたりいかに美しく表現することに情熱を捧げるかということになりがちらしい。これは野菜にもいえることで。自然の一部である野菜は全く同じ形や全く同じ色はないわけで。それを統一しようとすること自体自然の流れに逆らっている。現代社会ではいかに綺麗に見せるかを優先させていることがよくわかる。

演奏する人、聴く人がいて成立する音楽は本来は一回限り。音楽は空気の振動になって消えてしまう。

坂本さんも、実は人間は何も振動を起こさなくても音はある。だから究極は何もしない、ただ聴いているだけで音楽なんだと。私もその通りだと思う。

ヴィーガン、砂糖、カフェイン、アルコール自分に合わないものは体に入れないという食スタイルを実践しながら、カラダのさまざまな症状、ノイズというカラダの声に対して究極は何もせずあるがままを見守ることが一番よかったりする。実際に私自身が今そうなので。痛みという嵐がきても判断せず感じる見守ることを意識すると時間はかかるかもしれませんが嵐はいつか自然に消える。いつどうなるかなど意味やタイミングは私にはわからない。ただし、人間、マインド、エゴのコントロール下で無意識に食べていると嵐はいつになっても消えない。

自然の一部であるカラダを観察していると本当に全ての自然現象は秩序立っていない。秩序立っていないと言っているのは人間から見た視点であって、実は無秩序であるように見えてそこには人間の想像以上の完璧な自然の流れがあって私たちがコントロールはできないというかコントロールする必要がないことに気づく。自然の一部であるカラダに介入しないそれが一番楽だったりする。

シンプルであたりまえのことに気づくのにたくさん時間がかかったけれど、それに気づくことができるから年をとることのよいことの一つだとこんなにすごいお二人がともにおっしゃっていたことが印象的で。私もカラダの声を聞きながらシンプルであたりまえのことに気づく毎日。

今回の坂本龍一さんと福岡伸一さんの対談は本当に興味深くそれぞれの立場や状況は違えど、すべての営みに通じる話のような気がしました。お二人の今後の活動もますます気になってしまう。

実はこの対談の少し前に見つけた「ソトコト」の広告。福岡さんの顔がドーンとこんなにアップ。インパクトがあって気になってしまいパシャリ。 IMG_0366 この写真を撮影した時は何となく気になったというそれだけ。こんな対談があるとは全く知りませんでした。でも気になるものは意外と未来のサインだったりする。自分がすべてを知っている、そんな感覚がおもしろい。これからも日々観察、実践です。おわり。


Category:culture  Tag:ヴィーガン / 坂本龍一 / 断食 / 福岡伸一 / 自然 / 音楽

坂本龍一さんと福岡伸一さんの対談で思い出した、人間、マインドのコントロールから肉体がはずれた断食体験。

坂本龍一さんと福岡伸一さんの対談後半は坂本さんが福岡さんにインタビューするかたちではじまり動的平衡のお話も出てきて面白い。

福岡さん自身がご自分の研究はロゴスの極みと言っていましたが、遺伝子一つ一つに名前をつけマウスの遺伝子を操作して遺伝子である部品を一つ削除して異常を引き起こすかどうか実験したことがあり、何も異常が出ずマウスは元気で次の世代にも異常がでなかったそうで。異常が起こるだろうと機械論的な頭で考えていたけれど一つ欠けても問題が何も起こらなかったらしい。部品が一つなくても新たなバランスを立ち上げることができる、そこには生命があるという当たり前のことに気づいたと。ロゴス、言葉で自然現象を切り取りすぎるとそのものの本質を見失いがち。

結局何も異常が起こらなかった遺伝子実験の挫折体験から動的平衡の考えへ行きついたらしいのですがその動物実験が良い悪いとロゴス的に判断するのではなくその実験という山を登らなければ次の山、風景が見えなかったわけで。福岡さんにとって大切な気づき、体験だったんだなと。

坂本さん自身もたくさんの音楽を生み出しながら、たくさんの山をのぼった今だからこそ「async」というニューアルバムにたどりついたと。そして実際に登ったからこそ今、次に登る山がいくつか見えてきたらしい。

何に気づくかということもタイミングも人それぞれ違うわけで。それぞれのプロセスがあり、遅い早いとか良い悪いとかそういところを超えてその人にとってぴったりのタイミングでその人に必要な気づきがやってくるんだろうな。

遺伝子を1つ削除しても新たなバランスを立ち上げる回復力、生命力があるということは、人間の頭、実験では計り知れない生命の謎、自然の仕組みがあるということをはっきり福岡さんは語られていました。私たちの肉体も自然の一部でありそこには実験や人間の頭で説明できない自然現象がたくさんある。カラダは物でなく生き物なので。それは毎日自分のカラダを観察しているとよくわかるんです。

福岡さんが研究されている動的平衡とは、簡単に言うと行ったり来たりすること。

生物はすべて分子で成り立っており、対談ではネズミとチーズの例で動的平衡を説明されていました。ネズミがチーズを食べることによってネズミのカラダが反応しネズミを構成する分子の一部が分解されチーズの分子に置き換えられるということ。食べたものがからだを作るとよく言われますが、食べたものの分子の一部がカラダの分子の一部になるということ。とてもわかりやすい。

人間も分子レベルでは1年ほどで全く別の分子に置き換わっているらしい。生き物の外と中を分子が行き来するこれが動的平衡の考え方。目で見えないけれど人間も生き物も環境、自然もとても風通しの良い関係だと言える。ということは当たり前の話ですが食べるものだけでなく空気や環境などすべてに影響されるということでもありますよね。

お二人の対談から、今実践中の砂糖、タバコ、アルコール、カフェイン、ナス科の野菜なしのヴィーガンという食スタイルも人間、マインド、エゴのコントロールから自然の一部である肉体を解放していく作業だったと再確認できたのですが、人間、マインド、エゴのコントロールがいかに強力かに以前気づいたことがあって。今思えば福岡さんの研究されている動的平衡も同時に体験したと言えるかも。

それは10日間の断食に参加した時のこと。もう7〜8年ほど前になるのかな。こんな風景が広がる山の中のホテルでの断食でした。 fasting01 断食会場に到着した時は初めての断食体験だったのでややテンション高め。体調が悪いわけではなくとっても元気でした。しかし翌朝断食初日、急激なカラダの変化にびっくり…。カラダが重く何だか気持ちが悪い。風邪気味でもなかったし熱もない。だるいというかベッドから起き上がれない。

断食期間中、毎日朝夕のシェアタイムがあるのですがなんとか参加するために部屋から出て椅子に座ったはいいけれど頭を持ち上げられず下にだらっと上半身を持ち上げられない状態でシェアタイムがスタート。私の状態を見ていた主催者がすぐに前へきて今の状態を話してみてと。そこで自分のカラダの状況をダラっとした格好でシェアしたような記憶があります。そしてアドバイスが一言「マインドのコントロールが外れたんだね。滝へ行ってごらん。」と。

私は元気だと思っていただけで、実は体の中はエネルギーがなく充電切れだったわけで。じゃあなぜ体は普通に動いていたのか。それはマインド、エゴ主導でエネルギーがなくても弱音を吐かず頑張りなさいと無意識に体をコントロールしていたということ。これはなかなか気づけない。昔の私ならさらにエネルギー切れの体にコーヒーや白砂糖の甘いもの、暴飲暴食で鞭を打ち体と戦っていました。

ぐったりした体をなんとか起こしてメンバーについて滝へ。山の上で断食しているにもかかわらずさらに上を目指して山を登っていかなければならないので気分も悪く体も重いと大変でしたが。なんとか山を登って滝へ到着しました。そしてこの写真、この滝に入ったんです。 fasting02 そうしたらあれ?カラダがシャキッとスッキリ。え?!何が起こったの?という感じ。滝、冷水のエネルギーはすごいよというお話は聞いていましたがこんなにも一瞬にカラダが変わってしまうなんてビックリ。エネルギーを一瞬にしてチャージできる滝ってすごいかも。自然の中にはエネルギーが満ち溢れている。カラダにエネルギーを与える方法は食べることだけではないと感じた瞬間でもありました。

この写真の滝に思いっきり打たれたというわけではなく滝のちょうど裏側が歩けるようになっていてそこでこぼれてきた滝の水やしぶきを浴びる感じ。その後滝の目の前に溜まった冷水の中にも入ってみましたが。震えるぐらいめちゃくちゃ冷たいけれど気持ちいい。

水道水とは違う、山という自然から吹き出す水は半端ないエネルギー、生命力を持っているんだと感じた瞬間でした。もちろん冷水なので冷たいのですがそれも自然あるがまま。水も生きている。

滝は修行僧の滝行のイメージでしたが、いやいやお坊さんに独占させておくのはもったいないと思ったり。生きている生命エネルギーをカラダにチャージするには最高の場所でした。帰り道、断食会場であるホテルまではカラダが軽いし気分は最高でした。

この時、毎日無意識にどれだけ自分の体をコントロールしているのかがよくわかったんです。自分では元気だと思っていたけれど無意識にしっかりやるべきことをやりなさい行動しなさい頑張りなさいとマインドが言い聞かせコントロールしていた。全くそんなつもりはなかったのですが。

自然のエネルギーが強い場所に行くと、おそらく福岡さんの言う動的平衡が空気や環境とカラダの間で起こり自然の一部であるカラダにスイッチが入ったんだろうと思います。カラダ主導、自然主導になった私のカラダは、人間のコントロール、マインドのコントロール、エゴのコントロールから一気に外れ一気にぐったりしてしまった。ぐったりした姿は恐怖と思うかもしれませんが本来の姿に戻ったというだけのこと。全く気づかなかったけれど私の体はとても疲れていた。毎日、無意識に私、マインド、エゴが体をコントロールしていることが今はよくわかる。

この滝での体験で、滝から吹き出す水のエネルギー、分子と私の体の分子が行き来し福岡さんのいう動的平衡が起こっていたんだなと思うと興味深い。目に見えないけれど分子が常に行ったり来たりして影響し合っている。口から食べ物を入れなくてもカラダの周りに存在する、太陽、空気や水、感情などすべてはエネルギーで影響し合っていることも腑に落ちる。

いまだ福島で出し続けている放射能も、農薬も排気ガスもタバコの副流煙もカラダも食べ物も物質ではなくエネルギー。そしてすべては分子レベルで行き来ができる風通しのよいエネルギーということが体験からもよくわかる。だから環境が汚れる、自然を操作するということは自動的に自然、環境の一部であるカラダも汚れる、操作されるということ。ここからここまでと切ることはできないしすべては繋がっていると感じる。

現代社会では疲れて果てエネルギーがなく、消耗しきっているにも関わらずカラダに鞭を打って頑張れと無意識にコントロールしている。疲れきった体、消耗しきったカラダにさらにカフェインやアルコール、白砂糖でエネルギーチャージさせているつもりかもしれませんが、実は肉体をさらに疲弊、消耗させている。

人間は自然の一部であるカラダをコントロールしようと無意識に戦っている。現代の食生活はとても人工的、人間、マインドにコントロールされているわけで。その人間のコントロール、マインドのコントロールからフリーになるには意識だけではなく食べることを見直すことが結構大切になってくる気がしている。意識を変える前に体の声を聞きながら食べることをしていくと自然と意識も変換されていく。そしてその人間、マインド、エゴのコントロールがいかに強力かということをコントロールから外れるとよくわかる。

私はアルコール、カフェインはすぐやめられましたが、砂糖からフリーになるのは大変だったので。砂糖中毒もある意味マインド、人間のコントロール。砂糖を口にしないことはある簡単。でも何か口がさみしく食べないではいられない異常な食欲というか頭がマインドがもっともっと欲しいという抑えられない欲求がすさまじかった。異常な食べ方はやはり砂糖のコントロールからはずれてそういうことかとはじめてわかったことで。砂糖依存、砂糖によって本来の姿が失われカラダに必要ないものをむやみに食べ内臓を消耗してしまう。食に限ったことではないですが食べることも先祖代々受け継がれているコントロールでもありますから。

アルコール、カフェイン、砂糖など自分にあわない食べ物からフリーになると食べることに対する態度、意識も変わってくる。カラダの声に従うと食べ過ぎることができなくなってくるし、毎日3食〇〇品目を食べなければならないとかそういうところのコントロールからも自然にはずれていく。本来の自分の食スタイルにもどっていく。そして時には食べない方が集中できたりと不食という世界や次に見える山、景色も変わってくる。

福岡さんも現代社会のロゴス、人間のコントロールの強力さを話されていましたが本当に私もその通りだなとカラダをいつも観察しながら思ってしまう。次回につづきます。


Category:culture  Tag:ヴィーガン / 坂本龍一 / 福岡伸一 / 自然 / 音楽

坂本龍一さんと福岡伸一さんの対談で再認識。私にとってヴィーガンという食スタイルはカラダを人間のコントロールから解放するというチャレンジ。

先日音楽家の坂本龍一さんと生物学者の福岡伸一さんの対談がとても面白かった。彼らの対談から、あっそういうことだった、忘れていたなと再認識。ずっと言われ続けていたことなのでわかったつもりになっていましたがやっと腑に落ちた瞬間でした。私にとって現在の食スタイルは人間、マインド、エゴのコントロールからカラダを解放するというチャレンジ。これが今のところ一番しっくりくる説明のような気がする。

このブログタイトルもわかりやすくヴィーガンライフとしていますが、表現しきれているかといえばやや微妙。肉体である自然は日々変化し全く同じ日がないし食スタイルも常に変化しているし、ヴィーガン、完全菜食というだけでなくアルコール、砂糖、カフェイン、タバコ、ナス科の野菜などカラダがいらないと言ってくるものは食べていないので。

今の私は「良い食べ物はこれ、悪い食べ物はこれ…。」というわけでもなく「もっと長生きしたい。」というわけでもなく「もっと健康になりたい。」というもっともっとという状態でもないのです。

ただカラダをあるがままの本来の姿に戻す、人間、マインド、エゴのコントロールから解放するというそれにつきると思いました。たまたま私の場合は原因不明のカラダの症状や病気によって食べることを見直すことからそのチャレンジがスタートしましたが。

有名な音楽家と生物学者という全く現在の私と関係のない分野の方々の対談がどう関係するの?と思われるかもしれませんが通じることが多々ありうなずきまくり。確かに坂本龍一さんの音楽は好きだし、彼の存在、考え方はいつも気になっていた。福岡伸一さんはコラムがおもしろく私でも理解しやすいのでこちらも気になる存在でした。

対談は福岡さんが坂本さんをインタビューするかたちで坂本さんのニューアルバムのコンサート会場(NY)ではじまる。

8年ぶりに発表された坂本龍一さんのニューアルバム「async」。日本語で「非同期」ずれるという意味。同期しまくりの現代社会とは真逆のタイトル。

坂本さんは2014年、中咽頭ガンと宣告され治療に専念されたのですが、その間に完全菜食、ヴィーガンになられ現在では魚介類は食べるとのこと。お肉は一切食べていないそう。

坂本さんが今最も気になる音、大切にしている音は「Noise」。子供達の声、雨音、都会の喧騒であったり、自然が奏でる音は秩序立っていない、そろっていない、ずれている。「async」では楽器音に環境音や自然音という坂本さんが今聴きたいと思う音を集めコンピューターに取り込み織り交ぜている。自然音や環境音はそれぞれの音が固有のテンポを持ち、一見ノイズととらえ排除しがちだが排除するのではなく一つの曲に共存しているそんな世界。視聴してみましたがとても良かった。

坂本さん曰く音楽もノイズはますます排除され人工的にコントロールされていると。楽譜も人間が秩序立てて構成されたものであってそれが良いとか悪いとかロゴス的な切り取り方をするのではなく、そもそも音、音楽とは何なのか本質を問いていました。

ロゴスとは。ロゴスは言葉、意味、概念。福岡さんが対談でわかりやすく説明をされていました。人間は言葉による分ける力、分節の力がものすごく、秩序を作って名前をつけて切り取る作業をたくさんしてきた。切り取られすぎると本来の姿、自然の姿、奥深さが見えなくなる。例えば空にはたくさんの星があるけれど人間はそれを点として抽出し、切り取った星座として名前をつける。そこに存在するその星の奥深さ、大きさや距離など全く同じものはないわけで一度切り取ってしまうとその星の本来の姿は置き去りにされてしまい表面だけを見てしまうことになる。星座と名付けることが良い悪いそういうことを言っているわけではないですよ。

ちょっと思い出したことがあって。ある子供は魚というものは切り身が海で泳いでいると思っていたという話。スーパーで買う魚はいつも切り身だったから。本来は魚という全体の姿があるわけで。その話と似てるなと。

坂本さんが10代のころに出会ったジョンケージという音楽家がいるそうで、彼は1952年にノイズを聴いてみようと音を人間のコントロールから解放することにチャレンジした方らしい。坂本さんもそれにチャレンジされていて。ピアノをあえて普通に弾くのではなく叩いたり金属でガリガリとやったりズラして演奏したり。これは弾くよりも予測不可能になり、だから音、音楽は一回性のものであって毎回同じ結果にはならないと。そしてその一回性に意味がありそこにアウラ(オーラ)があると。

発売前の坂本さんのコメントに「誰にも聴かせたくない。自分だけで聴いていたい。」とあったらしいのですが、それは単に独り占め、ただ単に聴かせたくないということではなくコピー、複製、複製、複製という行為で音楽を共有するというよりは、音、音楽の一回性を大切にしたいという思いからなのでは?と福岡さんが言い当てていました。

この複製という響きは養殖にちょっとリンクしました。物を複製する感覚でもっともっとたくさん人工的に同じ種類の生き物を作るという流れ。そこには命があるわけで。人間が命を薬漬けにしてコントロールして作っていいものなのだろうかと思ったり。

坂本さんは音楽、音を本来の姿に戻したいと。ピアノも人工的な加工を経て作られているわけですが、そもそもは木と鉄でできているわけで人間のコントロールから解放してあげたいと。音、音楽の一回性を大切にしながら坂本さんは音楽家として音、音楽を人間のコントロールから外すチャレンジをされているということがよくわかった。

私が実践している食生活がまさに人間、マインド、エゴのコントロールから肉体を解放するという地道な作業。坂本さんの音、音楽に向き合う姿勢と通じるものがありました。自然の一部であるカラダは常に私たちに語りかけている。眠気、だるさ、音、痛み、かゆみ、ただれ、匂い、出血などすべてカラダの声はノイズ、怖いもの、嫌なもの、ネガティブなものいらないものとして排除されがちですが、本来排除すべきものではなく必要なもの。

薬や手術など排除したりその生命の流れを止めてしまう近代医学の考え方はまさにロゴス的。〇〇病とすぐ病名をつけて表面だけを切り取る。病気は悪で健康が良いと何でも名前、レッテルをはりわけて判断してしまう。ロゴス的発想では自然を理解すること、自然である肉体の奥深さ、様々な細胞や内臓の全体としての働きや自然、環境とのつながりなど本来の姿を見ることはできない。

私たちの肉体も人生も一回性。生命も一回性。一回性だからこそそこにアウラがある。病気もそのアウラ、生命が宿る肉体の周りにある層を破って侵入してくる。だから肉体に症状が出るということは随分前からその病気というプロセスは始まっているということになる。肉体が元気であればその周りの層がしっかりバリアをしてくれるのでそうそう病原菌が侵入してくることもないという話を以前聞いたことがある。

電子レンジも便利かもしれませんがアウラ、生命力はなくなってしまう。目に見えることだけ、物質だけを見ていると本質が見えなくなる。

書ききれないので次回に続きます。

明日金曜日の24時からNHKEテレでこの対談、SWITCHインタビューの再放送があるようです。ご興味のある方はぜひ。


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about(自己紹介)
自己紹介写真 こんにちは! 穀物菜食(VEGAN)という食スタイルに 出会ってから、ずっとつらかった原因不明の カラダの症状がいつのまにか消えていました。 動物性食品、ナス科の野菜(トマト、じゃがいも、なす、ピーマン、唐辛子)、アルコール、カフェイン、 白砂糖なしのVEGAN LIFE(ビーガン ライフ)を楽しみながら 日々の気になることを綴っています。

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