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Category:culture  Tag:ヴィーガン / 坂本龍一 / 福岡伸一 / 自然 / 音楽

坂本龍一さんと福岡伸一さんの対談から自然の絶え間ない流れが見えてくる。

坂本龍一さんと福岡伸一さんの対談から今の私の食生活は人間、マインド、エゴのコントロールから肉体を解放する作業だったと再認識できましたが、坂本さんの今回のニューアルバム「async」(同期しない、ずれる)もフィシス(自然)の回復運動、async(ずれること)の再確認をされているのではないかと福岡さんがズバリおっしゃっていて。

フィシスとは自然、ありのまま。物理学(physics)、生理学(physiology)もフィシス(phsis)からきている。

音は本来一回性であり振動が伝わって自然に消えていくものが音であって一回しか起こらないから素晴らしい。そして自然はバラバラで秩序だっていないけれどそのままで豊かであると。生命も人生も同じですよね。

人間が分節の力で名付けたノイズというものを排除するのではなく音はそもそもノイズ。人間が音の一部を切り取ってノイズと名付ける前はこの世はノイズだらけなわけで。

今まで名前をつけたり言葉によって人間は世界を何でも分けてきましたがいきつくところまでいってしまい身動きできなくなっている気がする。生きにくい社会というか、カラダもコントロールされすぎて病気だらけ。負のスパイラルにはまっているというか。

人間が秩序立てて構成した音とノイズとして排除されがちな自然音(環境音)を分けずに、両方が同時存在する、あるがままの姿にもどす、それが人間、マインド、エゴからの解放だとすると、わけていたものをもとの姿にもどす、例えば善悪とか病気と健康とか2つに分ける二元性を超えて両方あるときづき1つに統合していくことと同じ気がする。

病気が悪、健康が善と世界を分けるロゴス的な判断をするわけではなくすべては生命、自然現象、あるがままという俯瞰した見方。

無意識に人間、マインド、エゴにコントロールされた食生活ではなく意識的にカラダの声を聞く食生活を実践していると、次に自分の無意識の中にある先祖代々受け継いてきた感情、思い込み、考え方にも気づきはじめる。例えば「毎日3食食べなければならない。」「牛乳は毎日飲むべきだ。」その「〇〇しなければならない」とか「〇〇するべき」とか「〇〇することは良いことだ。悪いことだ」など自分のスタイルに合わない常識を疑い気づいて外していく作業。毎日3食食べることが悪いとか良いとかロゴス的な発想、視点で言っているわけではないですよ。自分のカラダだけでなく行動、生き方をたくさん制限して無意識にコントロール、ブレーキをかけていることになっていたりする。

何に気づくか、何を実践するかは人それぞれ違うと思うのですが、人間、マインド、エゴからの解放によってカラダや精神が楽になっているということがポイントのような気がする。心身ともにリラックスできているかどうかが結構大切で。私の場合は合わない食べ物である白砂糖やカフェイン、アルコール、動物性食品によってカラダは負荷がかかりさまざまな体の症状が出てリラックスできなくなってしまう。

坂本さんはこのアルバムで終わり方が大切だとおっしゃっていて。いつ終わるのかわからない中やめる瞬間を非常に意識したらしく。作曲中も自然に筆をおく瞬間があるとかなり強く感じていたと。その筆を置く瞬間を過ぎてしまうと余計なことをたしてしまうからとそこを意識されていました。

人間の死も同じで筆をおく瞬間、寿命がある。生まれるということは同時に必ず死ぬということでもあり。ただ現代の死は筆をおく瞬間に筆をおくという自然の流れの中に死はない気がする。人間、マインド、エゴのコントロールの中で生きていると余計なことをたくさんしてしまい自然には死ねないのかもしれない。カラダを観察していると病気はいろんな意味で人間、マインド、エゴがつくりだしているようにも思ってしまう。私が実際無意識にふつうという常識通りの食生活によって様々な原因不明のカラダの症状に悩み苦しんでいたので。しかし今はそれがない。もちろん、食べ物だけでなく、空気、水、海、タバコの副流煙、排気ガスなどの環境や様々な無意識のくせ、感情のパターンなど複雑に入り組んでいるとは思いますが。

そういえば人は病気で死ぬものではないんだよと聞いたことがあって。 インディアンの長老の話がまさに筆を置く瞬間を見極め自然に穏やかに死を迎える話だったことを思い出しました。長老は自分が死ぬだろう瞬間、筆をおく瞬間を察知し、その前に1人1人に言葉を残しお別れをした後1人離れへこもり静かに息をひきとると。

そう考えると現代人の死も今はむちゃくちゃというか、人間、マインド、エゴのコントロール下にあってエゴの勝利といえるのかもしれない。病気も人間、マインド、エゴがつくりだした幻想にも思える。

意識的に食べながらカラダを観察していると、オーガニックでいくらカラダによいからといっても食べ過ぎると内臓が消化活動でエネルギーを消耗しカラダはダウンする。食べ過ぎもマインド、何か充たされない無意識の感情が関係していたりもするらしい。

「健康のために〇〇を食べなければならない。」食だけでなく「寝ずに〇〇を頑張らなければならない。」「〇〇は便利だから買わなくてはならない。」など外界の情報にふりまわされなくなってくる。人それぞれカラダは違うわけで必要な食べ物も量もそれぞれ違う。意識的な食生活は本来の自分のスタイルに戻っていくことにつながる。

だから意識的に食べることを続けていくと、食だけでなくライフスタイル全体が変わってくる。今これがはやりだといくらマスコミが発信していても自分には必要ないと感じる。自分にとって何が大切なのか、自分は何をしたいのか、何を食べるのか、以前よりクリアになってくるというか自然とそういう流れになってくる。

人間、マインド、エゴのコントロールから解放されてくるとやみくもに食べなくなってくるから体も消耗しない。私の場合それだけでなくやみくもに買わなくなってくるからお金を浪費しない。そしてやみくもに動かなくなる。何も挑戦しないというわけではなく以前より上手にカラダのエネルギー、お金のエネルギーすべてのエネルギーを使うようになってくるような気がする。

そうすると自分のことも少しずつ何となくですがわかってくる気がするし、何をするのか自分に聞く自分自身を見つめる、内観することが一番早かったりする。自分自身が受信器アンテナになってしまう感じ。

坂本さんも、ニューアルバムの「async」という山を登って次の景色が見えているようで、幾つかの山の何に登ろうか今内観していると言っていました。やはり1つの山を登るには相当のエネルギーが必要だし命も限られているからやみくもに登りたくないと。

意識的な食スタイルから自分自信をますます見つめることに集中したくなってくる。そして感情に揺さぶられることも毎日多々あるのですがリラックス、平常心で常に観察することが日々訓練にもなっている。

そして今この瞬間を感じたいという気持ちも芽生えてきて。これは坂本さんと福岡さんのいう音の一回性にもつうじるかなと思ったり。

最近は耳をふさぐ感覚が嫌なこともあって音楽をイヤホンで聞かなくなってきて。今この瞬間の音を大切にしたいと思うように。犬の吠える声、赤ちゃんの泣き声、子供たちの声、鳥の鳴き声、工事の音、電車の音、話し声すべてを今聞いていたいと思ってしまう。音だけじゃないですよ。目に入るもの、味覚、嗅覚、このカラダで感じることが楽しくなってくる。

なんとなく気になる言葉、気になる人、気になる色や匂いなど、それらが次のステップ何かのサインだったりと今この瞬間にたくさんのヒントが隠れていたりするんですよね。それも一回きり。その瞬間でしか味わえない。まるでロールプレイングゲームをリアルでやっているようなもので、宝物探しのような感じ。どこで何がどうつながるかはその時はわかりませんが。今この瞬間を日常を注意深く観察したくなる。頭、マインドが考えることでいっぱいになっていない状態、リラックスした状態でなんとなくがポイントで、ついつい無視しがちなので意識して見たり聞いたり感じたり。あくまでも私の場合ですが。

すべてはベストなタイミングでおこりノイズだらけで一見秩序立って見えないけれど自然は完璧で予測不可能だからおもしろい。自分にしかわからないことだけれど無秩序のこと、もの、人が後で結構いろんな形で繋がってくる。

私たちが強烈な分ける力によって「良い」「悪い」などたくさん名付けて判断してきたけれど、名付ける前の世界はすべてはノイズだらけであって。そこにもどるということは私たち人間もみんなと全く同じである必要がなくそれぞれのライフスタイルがあって、無秩序に存在していてOKで。みんながあるがままの状態で生きる世界、ノイズだらけの世界が実は1番イキイキ、キラキラしている世界なんだろうなとも思ったり。

お二人の対談の中で、私たちも木と同じ自然の一部なんだよね、と。自分と外部、自分とノイズと分けるのではなく自分もノイズの一部だと。

壊すことの重要性をもっと認識した方がよいと福岡さん。動的平衡(分解と合成)を数理モデルにしたもので説明されていました。生命現象は壊すことをやめない。壊さないと生まれない。作って壊す、ゴミが溜まったから壊すとはまた違う。細胞は一部が壊れると一部がまた合成され、絶え間ない分解と合成を繰り返しながら絶妙なバランスを保っている。実際合成よりも分解が少し多いらしい。

坂本さんは福岡さんに動的平衡の視点から病気はどのような状態をいうのだろうかと質問されていて。福岡さんは繰り返し行なわれる分解、合成のバランスを崩すことではないかと。合成が多くなり分解が滞る状態。常に分解と合成を行い続けている生命現象だから症状を止めるような薬よりももっとバランスを戻すためにさまざまな方向から揺さぶるような漢方のようなものの方がよいのではないかとおっしゃっていました。

フィシス(自然)、生命、は止まらない。常に流れていて変化している。それを思い出させてくれるのが一番身近な生命、カラダという自然。

遺伝子と楽譜は対応するところがあると福岡さん。楽譜が音楽と思いがち、遺伝子が生命と思いがち。秩序だったオーガナイズされた楽譜と遺伝子は生命ではなくただのシグナルであって、それを演奏する人、生きる人によって現象は異なる。

例えば遺伝子が一つなくても全体としては大して変わらないこともあったり、全く同じ遺伝子を持っている一卵性双生児でも違う人格になる。そこに生命の不思議、自然界の流れがあると。

楽譜があれば同じ演奏ができるかといえば違う。演奏する人、聴く人がいて初めて成立する。これは料理にも言えることで。同じ素材を使っても料理人のエネルギーや調理器具によって全く違う味になってしまう。そして食べる人の味覚によってもまた感じ方は様々。

楽譜のシステムも複雑化してきて方眼紙に緻密に書いたりいかに美しく表現することに情熱を捧げるかということになりがちらしい。これは野菜にもいえることで。自然の一部である野菜は全く同じ形や全く同じ色はないわけで。それを統一しようとすること自体自然の流れに逆らっている。現代社会ではいかに綺麗に見せるかを優先させていることがよくわかる。

演奏する人、聴く人がいて成立する音楽は本来は一回限り。音楽は空気の振動になって消えてしまう。

坂本さんも、実は人間は何も振動を起こさなくても音はある。だから究極は何もしない、ただ聴いているだけで音楽なんだと。私もその通りだと思う。

ヴィーガン、砂糖、カフェイン、アルコール自分に合わないものは体に入れないという食スタイルを実践しながら、カラダのさまざまな症状、ノイズというカラダの声に対して究極は何もせずあるがままを見守ることが一番よかったりする。実際に私自身が今そうなので。痛みという嵐がきても判断せず感じる見守ることを意識すると時間はかかるかもしれませんが嵐はいつか自然に消える。いつどうなるかなど意味やタイミングは私にはわからない。ただし、人間、マインド、エゴのコントロール下で無意識に食べていると嵐はいつになっても消えない。

自然の一部であるカラダを観察していると本当に全ての自然現象は秩序立っていない。秩序立っていないと言っているのは人間から見た視点であって、実は無秩序であるように見えてそこには人間の想像以上の完璧な自然の流れがあって私たちがコントロールはできないというかコントロールする必要がないことに気づく。自然の一部であるカラダに介入しないそれが一番楽だったりする。

シンプルであたりまえのことに気づくのにたくさん時間がかかったけれど、それに気づくことができるから年をとることのよいことの一つだとこんなにすごいお二人がともにおっしゃっていたことが印象的で。私もカラダの声を聞きながらシンプルであたりまえのことに気づく毎日。

今回の坂本龍一さんと福岡伸一さんの対談は本当に興味深くそれぞれの立場や状況は違えど、すべての営みに通じる話のような気がしました。お二人の今後の活動もますます気になってしまう。

実はこの対談の少し前に見つけた「ソトコト」の広告。福岡さんの顔がドーンとこんなにアップ。インパクトがあって気になってしまいパシャリ。 IMG_0366 この写真を撮影した時は何となく気になったというそれだけ。こんな対談があるとは全く知りませんでした。でも気になるものは意外と未来のサインだったりする。自分がすべてを知っている、そんな感覚がおもしろい。これからも日々観察、実践です。おわり。


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about(自己紹介)
自己紹介写真 こんにちは! 穀物菜食(VEGAN)という食スタイルに 出会ってから、ずっとつらかった原因不明の カラダの症状がいつのまにか消えていました。 動物性食品、ナス科の野菜(トマト、じゃがいも、なす、ピーマン、唐辛子)、アルコール、カフェイン、 白砂糖なしのVEGAN LIFE(ビーガン ライフ)を楽しみながら 日々の気になることを綴っています。

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